おばあちゃんの話
「ねえ、おばあちゃん、話を聞かせてよ」 「なんの話?」 「戦争の」 高校二年生の私は弘子(ひろこ)おばあちゃんに戦争の話をせがんだ。 弘子おばあちゃんはよく戦争の話をする。せがめば三時間ぐらい話してくれるとかもあった。きっと、話し相手が出来て嬉しいんだと思う。お母さんは話を聞いているだけで胸が苦しくなってしまいには泣き出すから。少しでも戦争の話を広めたいっていう思いもあると思うけどね。むしろ、その思いの方が強いと思う。 おばあちゃんは笑った。 「うん。そうしようねえ。実弥(みや)は勉強熱心だねえ」 私は照れ臭くなった。でも、実弥という名前は好きなんだけど、フルネームを名乗るのが恥ずかしい。私の名字は二宮(にのみや)。つまり、ニノミヤミヤ。ミヤが二つある。早口言葉みたいだ。 おばあちゃんが話し出した。 国はね、特攻隊の人に薬を飲ませてたんだよね。麻薬とか覚せい剤とか。でね、それでね、突撃させてた。飛行機とかに乗れる頭が良い人、みんないなくなっちゃった。馬鹿だねー。それに、命を軽んじてる。 後は神風特攻隊だね。一人の日本人が乗った戦闘機が二人の外国人が戦闘機に突っ込む。割りに合わないよね。 おまけに、国は情報を操っててね。日本が優勢だと思わせてたんだよ。 私も日本が優勢だと思い込んでた。 硫黄島は知ってるかな?有数の激戦地。日本軍よりも米軍の方が死傷者が多かったんだよ。日本軍はもう覚悟をしてたんじゃないかな。映画にもなったから、観てみるといいよ。 「私が知ってるのは星条旗と手紙。この二つは観たよ」 「うん。あの監督、すごいね。手紙のラストシーンで西郷は何を思ったんだろうね」 それでね、戦争が終わってからも怖かった。アメリカの人たちが日本刀を持って襲ってくるんじゃないかって。戦々恐々としたよ。 戦時中や、戦争が終わってからしばらくは道に生えてる草とかを食べてたな。配給の量が少なくなって、もうどうしようもなくなって、食べた。ばあばは疎開をしたけどね、ご飯の量が少なくていつも腹ペコだった。同じものばかり出て、疎開が終わってからもしばらく茄子は食べられなかった。 授業では女子は薙刀をやったよ。ばあばはね、その授業が嫌だった。薙刀は怖かったし、持つのも嫌だった。 「そういえば、手紙には実弥と同じ名字の人が出てるね」 ばあばが思い出したように言った。 「同じ名字だけど、私と違って歌が上手だよ。私は音痴だから」 私の音楽の成績は悪い。 ばあばのそばでもたくさんの人が死んだよ。 隣に住んでたお兄さんは硫黄島に行って戦死したし、その妹、美人な人だったよ、その人は空襲で死んだ。真向かいに住んでた家族も空襲で死んで、ばあばの友達も何人か死んだ。生き残った友達も何人かいたけど、その一人の友達のお父さんは硫黄島に出征して、死んだ。硫黄島の日本軍は全滅したんだよ。 それからは大変だったね。 高度経済成長期に突入して、朝の電車はずっと混んでた。押し合いへし合いしてたみたいだよ。 ずっと働いて、頑張った時代だね。 良いことではあるんだけど、悪いこともあって、子供たちが遊ぶ場所が少なくなった。戦争の方が嫌だけど、遊び場所が少なくなったのも嫌だよ。 長い人生だけど、まだ生きるよ。百歳までは生きてやる。 「うん。生きてね。 日本刀か。時代を感じるけど、情報が少なかったことの表れだよね」 ばあばは頷いた。 「うん。今たちと違って十分な情報がなかったから。今の時代も考えものだけどね。流言飛語に惑わされる」 うん。嘘か本当か分からない情報も多いし。 ばあばが私に言った。 「七十年以上も前の昔の話じゃないんだよ。たった七十年以上前の話なんだよ」
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サイコ-
めっちゃかん動しました!長いきってい~ですね~。