短編小説 お父さんと私
私、フミ子。12才。広島の町に住んでるの。お父さんは医者で、戦地で兵隊さんの治療をしてるんだって。今は昭和20年(※)の初め。もう半年もお父さんに会っていない。はやくお父さんに会いたい。でも、お母さんが「お父さんはお国のためのに、天皇陛下のために頑張っているからすぐには戻ってこないわ。」って言っているから仕方ないないなと思っていた。 だけど春になって戦況は、ますます悪化していった。桜なんて、5年前にここでゆっくり見ていたのが夢みたいだ。毎日度々鳴る空襲警報(※)。少ない食べ物。そんな日常を過ごしているうちにお父さんの記憶はどんどん埋もれていった。 初夏。私はひどい腹痛にみまわれた。防空壕(※)の中で吐いてしまった。たいして食べる物などないからほとんど水だ。家にあるあとわずかなお金で近くの医院へと向かった。軍のトラックに乗って。 医院では、優しいお医者様が診てくれた。お金がないからお薬代は払えないって言ったら、「無償であげるよ。」と言って渡してくれた。戦争が始まって以来、こんな優しい人は初めてみた。何しろ皆、今日を生きるのに精一杯なのですから。 「!」 その時、唐突に思い出した。お父さんの記憶を。お腹を診てくれたお医者様とお父さんの姿、声が重なる。私は家へ向かって走った。お父さんの写真を見るために。お腹のことなんかどうでもよくなった。 どれだけたっただろう。やっと家に着いた。他の兄弟は寝ている。空襲警報で、昼夜関わらず叩き起こされているもんだから昼寝が日課だ。 お父さんの写真を手に取った。決してたくましいとはいえない体。それまでは検査で戦地には行かずに、医者として働いていた。周りからは、「非国民」「天皇陛下に失礼だ」と散々言われた。家に赤紙(※)が届いた時にはお母さんが「やっとお国はお父さんが役にたてるということをわかってくれた。」と言って皆で大喜びした…………そんな思い出話がよみがえってくる。 (お父さんは今なにをしているかな。) とふと思った。 8月6日午前8時15分。突然ピカッと光ってものすごい音がした。そう、原爆だ。すぐさま防空壕に避難した。熱い。死にそうなくらい熱い。お父さんは今なにをしているかな。お父さんに会いたい。お父さんに会いたい。お父さんに会いたい。 5日後。お父さんは焼け焦げた家のあとに、ぼろぼろになって帰ってきた。なんでそんなことがわかるかって?家族みんなで空から見ていたからだよ。 終わり 〈言葉の解説〉 昭和20年…1945年 空襲警報…空襲がくるときに鳴る警報 防空壕…空襲がきたときに逃げ込むところ 赤紙…国から届く「戦地へ行くように」という命令が書いてある紙。 〈作者より〉 最後まで読んでいただきありがとうございます。短編小説は初投稿です。よかったら感想などを書いてくれると嬉しいです。誤字、脱字がありましたら、優しく教えてください。
みんなの答え
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ああっ!!!わかった!
なるほど!フミ子とお母さんと兄弟は死んじゃったけど、お父さんは生きていて、フミ子たちの家に帰ったんですね!(そうかな?)すごいですね!えみかさん、これからも頑張って!!
無題
原爆で亡くなってしまった方が頭をよぎります。 丁寧に言葉の解説まで付けて下さって有り難う御座いました!