短編小説みんなの答え:3

夕方カプチーノ

家に染み付いた煙草の匂い。飲まれずに冷蔵庫に仕舞われた缶ビール。父が仕事で使っていた黒いノートパソコン。着古された部屋着。壁に干されたグレーのスーツ。2基に増えた仏壇。古い、ボロい家。 「慧ちゃん、行くわよ。」 「うん。」 これでお別れ。 たった、5年住んだだけの家。今度からは、全く知らない男の人に引き取られる。親戚でも、なんでもない赤の他人。初めて会った時はとても優しいお兄さんだった。親戚の伯母さんの車に乗せられ、ゆっくりと家が遠くなる。 なんとなく、寂しかった。 「ありがとう。」 誰にも聞こえないくらいの、小さな声で呟いた。 「慧ちゃん、お兄さんに会ったらちゃんとご挨拶するのよ。」 前で運転している伯母さんが明るい声で話す。 私を引き取ってくれる人の名前は確かシバタユキ。漢字は教えてもらったけど難しかった。 「うん。」 東京の、人が多いところにある一軒家に住んでいるらしい。楽しみなような、緊張するような。フクザツな気持ちだ。 車の窓から流れていく景色を眺める。どんどん過ぎ去っていく家や畑、すれ違う車、人。住んでいた家からどんどん離れていってしまう。もう、戻って来られない。幼稚園で出来たお友達とも、お別れをした。お父さんとも、お母さんともお別れをした。 私のお母さんは、私を産んですぐに死んじゃったらしい。お父さんは、いつの間にか死んでいた。何で死んだのかは、誰も教えてくれなかった。皆、怖い顔をしていた。 お父さんは優しかった。お人形も、画用紙も、クレヨンも買ってくれた。一緒に遊んだりもした。お仕事で忙しい時は私は一人で遊んでた。邪魔をすると怒られちゃうから。怒るとすごく怖かった。鬼みたいに顔を真っ赤にして、こらーって大きい声で叫ぶ。コノヤロウ、アッチイケ、ヒトリデアソンデロ。そう言って、頭を叩かれる。 それでも、優しかったし、好きだった。美味しいものを買ってきてくれて一緒に食べて、一緒のお布団で寝て、テレビを見て......。 ぽたりと涙がこぼれた。お気に入りの赤いワンピースにじわりと染みを作る。それがだんだんと増えてきて、嗚咽がこぼれる。拭っても、拭っても止まらない。 お父さんと、離れたくなかった。一緒に居たかった。 自分の中で今にも溢れそうなものがなんなのか、分からないけれど。 「窓の外見てごらん。桜が綺麗よ。」 滲む視界で、外を見る。ピンク色に色付いた桜の門が、何処までも続いていた。 「......きれい。」 まるで自分を出迎えてくれているような。そんな感じ。 「もうすぐで着くからね。」 車に乗って、1時間。お兄さんの家に着いた。車を降りた途端、大きな門が目の前に立ちはだかる。上を見上げると御伽話(おとぎばなし)に出てくる魔女のお城みたいな大きなレンガの家が見えた。これで空が曇ってて、雨が降ってて、烏が鳴いていたら完璧に魔女の家だ。 伯母さんが門についているチャイムを押して何か話すとガラガラと大きな音を立てて門が開く。誰も居ないのに。 手を引かれて、敷地内に入る。すると目の前で大きく立派な噴水が水しぶきを上げて私達を出迎える。 「すごいね。」 伯母は黙る。 沈黙を通したまま、お城の前まで来るとお兄さんが笑顔で待っていた。 「ようこそ。柴田家へ。」 伯母の手を握り挨拶を交わした後、こちらにも手を差し出してくる。 「これからよろしくね。」 この人が、新しいお父さん。 「ほんだけいです。これからよろしくおねがいします。」 丁寧にお辞儀をすると「こちらこそよろしくね」と返ってきた。 「取り敢えずお家に入ろうか。疲れたでしょう。」 足が浮いて目線が高くなる。 優しい手で頭を撫でられる。暖かい。ゆらゆらと体が揺れ、それによって眠気が偶発され、つい、寝てしまった。 いい匂いで目が覚めた。ミルクと珈琲の甘く、苦い匂い。 「あ、起こしちゃった?ごめんね。」 「なに、してるの?」 寝ぼけ眼を擦り、近寄る。 「休憩。カプチーノと一緒にね。」 「かぷちーの?」 聞いたことの無い、新しい単語。かぷちーの。 「そう。カプチーノ。イタリアで好まれている珈琲の飲み方でね、エスプレッソに泡立てた牛乳を乗せて飲む珈琲だ。カプチーノにはね、蓋という意味もあるんだよ。」 ふた。私もこれを飲めば、溢れそうになっている"何か"も、塞き止められるだろうか。 窓から差し込む光は、もう真っ赤に染まっていた。 ここまで読んでくださりありがとうございました。

みんなの答え

辛口の答え

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無題

読みやすくて表現も素敵でした!


無題

最高でした! 次回も楽しみにしてます!


蓋をカプチーノに例えるとは..流石です!

どうも!かきのみです。 背景や、心情の書き方が、とても好きです。 それに、心からあふれそうになる淡い思いを止める蓋を、『カプチーノ』に例えるっていうのは、僕では、思いつかぬことでした。 珈琲が好きだから、そんな珈琲に詳しいのかな? あ、僕の感想ですが、柴田さんは、いずれは慧ちゃんにとって、お父さんのような優しい存在になるのかなと思いました。 とても、面白い小説でした! また書いて下さい! じゃあね~ヽ(*´∀`)


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