3.11に対する思いを教えて…(何でもOK)
こんにちは、舞桜です。 皆さん3.11の事を覚えていますか。 私は自分の中での記憶がほとんどありませんが父が災害派遣でいなくなったのを覚えてます…。 去年の7月頃から始まった監察医 朝顔で地震や津波の様子、人々の状況を見ました。 すごく怖かったです。 きっと1人ずつ思う事は違うと思います。 そこで皆さんに3.11についてどう思ってるのか聞きたいんです。 私たちはきっとこの日を忘れたらダメだと思うんです! どんな事でもいいです…。 怖かった、辛かった、生まれてない、TVで見た…何でもいいです。 どうか教えて下さい。
みんなの答え
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本当に悲しい
私の誕生日は3.11です。 本当は双子の妹が産まれる予定でした。 私は2:42に産まれたました。 「妹がもう少しで産まれる」というところで、地震が起こったそうです。 母は無事でしたが、妹が出てこず、検査をしたらお腹の中の妹は死んでいました。 父母は大泣きしていたそうで、助産師さんも涙を流していたと聞きました。 私はそのことを覚えていないけれど、誕生日ケーキのプレートには毎年こう書いてあります。 「優菜 陽菜 お誕生日おめでとう」と。 私が優菜で、産まれるはずの妹の名前が陽菜です。 みんなにとっては誕生日は楽しいと思いますが、私は何だか胸が苦しいです。 3.11は悲しくて辛い想いでいっぱいです。 いつか天国に行って妹に会いたいです。
私はあまり覚えていません。(泣)
私はその当時2歳だったのであまり覚えていません。でも、テレビをつけたら地震の映像や速報が来て怖かったのは覚えています。東京なので、震度5弱。幸い大きな被害はありませんでしたが、東北の人はきっと大変で辛い思いをしたと思います。お父様が天国で安らかに眠ることができるように。
忘れてはいけない
私は被災者ではありませんが、テレビなどで東日本大震災のことを見るとまだこんなに見つかっていない人がいてこんなにも死者がいるとなるとほんとに怖いなと思いました。私がこんなに怖いのに被害にあった方々はどれだけ怖いんだろう、つらいんだろう、苦しいんだろう、考えただけでこわいです。これは戦争も同じことが言えます。原発や東京大空襲などでたくさんの方々が犠牲になりました。決して忘れてはいけないことであり戦争についても二度と繰り返してはいけません。だからこそ私たちが大人になって子供たちに教えなければなりません。亡くなった方々のためにも亡くなった方々の分も今を精一杯生きようね。
ご冥福をお祈りします。
私は5歳の頃?で幼稚園をお休みしていました。 ただ幼稚園に行きたくなかっただけなんです。 そして私がお昼寝をしていた頃地震がきました。私は目覚めなかったけど起きた時はお母さんが抱っこしてくれて外にいました。 なにがあったのか分からないけどなぜかお母さんがこわばった顔をしていてびっくりしました。 そしてテレビを見た時津波の映像が出ていてただただ驚いた感情だったけど今見ると本当にひどい災害だったんだ。そう思いました。 東日本大震災に限らず大地震でお亡くなりになられた方、ご冥福をお祈りいたします。
自然災害怖い
私は被災者ではありませんが、テレビなどで東日本大震災のことを見るとまだこんなに見つかっていない人がいてこんなにも死者がいるとなるとほんとに怖いなと思いました。私がこんなに怖いのに被害にあった方々はどれだけ怖いんだろう、つらいんだろう、苦しいんだろう、考えただけでこわいです。これは戦争も同じことが言えます。原発や東京大空襲などでたくさんの方々が犠牲になりました。決して忘れてはいけないことであり戦争についても二度と繰り返してはいけません。だからこそ私たちが大人になって子供たちに教えなければなりません。亡くなった方々のためにも亡くなった方々の分も今を精一杯生きようね。
遊ぶ 笑顔
私は3才ぐらいだったので.あまり覚えていませんが、家で笑顔になれるように遊びました・・・
また書きます
また書きます! できる限り、僕は、募金をしたい と思います。 福島第一原発事故の、被災者様、周辺漁師の、風評被害のことを(NEWS23(TBS))で、知りました! 20の国が福島産を買わないんですね!でも僕は、福島産を、買いますよ! 長文すみませんでした! トマトマト
大変だったでしょうね…。
めろんぱんです。 私は当時、家族の事情でアメリカに住んでいました。 大きくなり、東日本大震災のことを知り、心がとても痛くなりました。 TVでも津波の恐ろしい映像が流れたり…。 もう二度とこんなことがあって欲しくないですね。 めろんぱんでした
温かい支援に感謝
まず、津波は私の町を破壊しました。人も、家も、店も、公園も、すべてです。 そして震災からすぐ、原発事故が発生しました。 テレビもつかなくなって、情報が錯綜して焦っている大人たちに、小学生の私はよくわからずただ手を引かれて福島から逃げました。 県外の人からは、放射能がうつるとか言われたり、福島の小学校から転校したらいじめられたりということもありました。 もう、福島県民という事が嫌でした。 それからずっとずっと経って、福島に戻って小学校が再開して、居なくなってしまった友達もそこで知りました。 でも、初登校の日、沢山の支援物資が届きました。お菓子、西日本の小学校からの応援メッセージ、本、文房具...。 もう、感謝してもしきれません。世界中からの支援は、大きな力になりました。 原発避難区域には、まだまだ大きな傷跡が残ったままです。産業も経済も、復活はしていません。 私は将来、地元で働きます。美しい姿を取り戻した福島を、支援してくださった世界中の人に、見せたいです。
がんばろう日本
僕はその頃、保育園児だったかな。保育園のテレビで津波の中継放送を 見たのを少しですが覚えています。 家族、友達、恋人など、多くの身の回りの人を亡くした人が多くいることを改めて考えてみましたが、本当につらいですね。 多くの被災された方々には、ご冥福をお祈りします。 そして、日本、世界で、協力して、いち早く日本が復興することをお祈りします。 地震は、どうしても避けられない事だとはおもいますが、被害を少しでも抑えることは可能だと思います。備えあれば憂いなし