短編小説みんなの答え:2

長崎被爆物語

これは75年前の話。私は菊乃当時私は7才。父、兄は兵隊にとられていて、弟を身ごもっていた母、祖母の3人暮らし。食料は不足していてつねに配給制。米は白米でなく、かぼちゃ大根などをまぜた玄米。生活は楽ではなかったがそれなりに幸せだった。しかし、その幸せは無残にこわされる日がきてしまった。1945年8月9日のこと・・・。ある日母は産気に気づき、弟を産むことに。「菊乃湯をわかしておくれ。」母に言われ、井戸に水をくみに行った。産婆さん(助産婦)もお見えになっていた。Γ産婆さん、こっちですよ。」「菊乃ちゃんもうすぐ弟ができるよ。」私はにこっと笑った。11畤2分の針をさしたとき・・・。ドカ一ンすさまじい音がした。ハッ我にかえると産婆さんは足に深い傷を負っていたがまだましだ。美しい浦上の町は死体にあふれていた。建物はこわれ、家は無残にはかいされ・・・。ひどい状態だった。「おじょうさん水をおくれ」おばあさんは全身にひどい傷を負っていた。井戸の水をくみ、おばあさんにわたした。「ありがとう。」一言いうと、おばあさんは死んでしまった。「菊乃ちゃんお母さんは?」「そうだ。お母さん・・・。」家に入るとお母さんは人とは思えないような死体に変わってしまっていた。Γお母さ・・ん・・」私は絶望した。悲しみにうちのめされた。「菊乃ちゃんお母さんはイエス様のもとに行ったのよ。お別れをいいなさい。」産婆さんの声はひどくふるえていた。「はい。さよならお母さん」そうこうしているうちに火がこちらまでせまってきた。外に出て、浦上天主堂に行った。祖母は天主堂に行ったまま帰ってこない。奇せき的に祖母は生きていた。うれしいことに父も兄も数曰後帰ってきた。13年後私はいとこと結婚し3人の息子が生まれた。私は幸せな生活をおくったが、母と弟の命をうばった原爆へのにくしみは消えなかった。

みんなの答え

辛口の答え

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深い......

すごい、千代さん上手ですね。。。 私も小説を書いていますが、これほど考えさせられるお話、はじめて読みました。 これからも頑張って下さい


良作…!

泣ける…、すごい切ないお話です。 とてもよい作品でした! あと、改行を使うと、読みやすくてもっとよくなると思います。 「」を使うときは、改行してから使うとか…。 産母さんの声は酷く震えていた。 「はい、さようなら。お母さん」 ↑みたいな感じで(伝われ)


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