短編小説みんなの答え:2

広島被爆物語

これは75年前のこと。私は文(あや)当時10才。国民学校の5年生!でも戦争も激しくなり、田舎に疎開しにいくことになった。朝早く起き、畑を一生懸命耕し・・・。私はいつもお腹をすかせていた。食事といえば具が大根、麦、などのわすがな穀物をまぜたすいとん。わずかばかりの玄米。とても辛い生活が続くなか、8月15日、日本はアメリカに降伏し、終戦をむかえた。我家に帰れることに私は大変喜んだ。しかし、広島に帰ると、私の知っている広島ではなくなっていた。町は死体にあふれ、建物は壊れ、絶望のどん底に引きづりこまれた。私は家に帰ると・・・。「そんな。」屋根の下には3つのがい骨が埋まっていた。「これは母ちゃん、これは梅の・・・。」「あぁ2人とも死んでしまったのね。」私の声がかすれる。涙が目からポロポロとおちる。「うっうっ・・・」私は原爆により母と妹の命をいっぺんに失ってしまった。そのとたん、聞き覚えのある声が「文!文ではないか。」ふりむくと戦場から帰ってきた兄の姿があった。兄は私より6つ上の17才。Γお兄ちゃん。」私の目に再び涙があふれだす。悲しみの涙ではない。喜びの涙だ。「お父ちゃんは?」兄の表情が曇る。「実は戦死したらしくてな。」「そうお父ちゃんも」もう涙は出すまい。そう思いつつも涙があふれ出し・・・。兄が私の頭をそっとなでた。「もう泣くな。お父ちゃんもお母ちゃんも梅もお前が泣く姿を見ることを望んでない。」「うん!亅私はそれから兄と2人で暮らすことになった。夏が来るたび辛い気持ちになってしまうが父、母、妹の分まで精いっぱい生きようと思った。END

みんなの答え

辛口の答え

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かなしい・・・

「平和」についていろいろと考えさせられました。 悲しい物語ですねぇ…。 うえーんうえーん。・゚・(ノД`)・゚・。 悲しいよぅ… だれかあの兄妹を助けてあげて… 現実でも広島・長崎の原爆による被害は受けているからねぇ… 文ちゃんのような子だった人は日本のどこかにはいたはずです。 つくづく当時のアメリカ大統領が恨めしい… ロシアが敵対する国に原爆投下しないでほしいよねぇ… 千代さん、これからも頑張ってくださいね!


すごい

とてもかんどうした。


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