ら抜き言葉に敏感・・・・・・
最近ら抜き言葉が気になって仕方ありません。 電車やテレビ、家の会話で「見れる」、「来れる」、「起きれる」などのら抜き言葉を耳にするとイラついて仕方なくてなんで「ら」の一文字も言えないのかなとキレそうになってしまいます。 さすがに電車のひとに注意したりはしませんが家族の会話で「明日起きれる?」と聞かれて「 起きられる ね!」と言ってしまい「いいから」と怒られる始末。 それにもイライラして正しく日本語を使おうとしないのが悪いのになんで私が怒られなきいゃいけないのという考えをしてしまいます。 これは私だけですか? 教えてほしいです。
みんなの答え
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言葉は何のためにあるのか
どの国でも、どの地域でも「誰かと意思の疎通をはかろうとして生まれたもの」が言葉なのではないでしょうか。 それなら、何が正しいかよりも、相手が何を伝えたいのかということのほうが大切かもしれません。 言葉は時代とともに変化していくものです。 今間違いとされている使い方が、未来では正しい使い方とされているかもしれない。 大昔の人たちからすれば、今正しいとされている言葉遣いも、変だと思うのかもしれませんね。 …とは言っても、私も気になってしまうときはあります。 指摘したくなるときもあります。 例えば、こんにちわ ではなく、こんにちは ではないかと言いたくなる時もあります。 でも私には、相手を指摘し続けるのが、正しいことだとも思えないのです。 「言葉」というものが、相手と意思疎通をして関係を築くためにあるものなら、 正しさにこだわり人を指摘ばかりする対応の方が間違っていると思います。 たとえ相手が間違っていようとも、相手の意図を汲み取りながら会話をすることが、言葉というものの本質ではないでしょうか。
仕方がないですよ。
僕は、仕方がないと思います! 感性っていうか、感じ方も、人それぞれです! 僕も人間不信とか、拒食症とかありますし。 だから、指摘してなんか言われたら、 「ら抜き言葉やめられない?私は、ら抜き言葉聞くと、 イラついてしまうから、ツラいの。」 など、自分の気持ちを伝えてみては如何でしょうか。 この文意識しましたが、ら抜き言葉になっていたら、申し訳ないです…
わかる
共感できます。私も以前は言葉づかいの正しさとか気にしていて、イラッとすることもあったのかなぁ。言葉じゃなくてマナーとか、そういうのはイライラしてました。 でもそういった「正確さ」「行儀の良さ」などにこだわりすぎるのは自分も縛るし、特定の能力が低い人を苦しめるということを知りました。これを「能力主義」と言います。 学校ではいろいろなところで「正確さ」が求められます。誤字脱字なんかは多少あったところで意味は通じるのに、「悪いこと」のように扱われます。私はそれを内面化して人を傷つけてしまったことがあります。 隠れ家さんも、どこかで「正確であるべき」という価値観を吸収してしまったのかなと思います。それが原因でイライラしてしまうのはおかしくないです。 言葉って、何かを「伝える」ためにあるから伝わればなんでもいいんだって今は思います。 滑舌が悪くても、文法やイントネーションが「正確」でなくても、ら抜き言葉を使っていても、通じればいいんです。
私もなの!
隠れ家さん、こんにちは☆⌒(*^∇゜)v るんむんだよん♪ 私もなの! ら抜き言葉じゃないんだけど。 「見せて」のことを「見して」 っていう人が多くて。 それが嫌なんだよね。 いつの間にか敏感になってしまって。 実際お父さんがそうなんだよね。 だから注意するとなぜかイラつかれるという始末。 はい。 でもしょうがないよね。 間違って日本語を覚えてしまったんだから。 きっと直せないよ。 子供ならまだしも大人は直せないよ。 間違ってそのまま使ってきてしまったんだから。 でも、隠れ家さんは注意をし続けても良いと思う。 でも疲れたらきちんと休んでね。 んな感じだよ! またキッズ@niftyで会おうね! んじゃバッイバーイ(*^-^)
悪くはないと…
ら抜き言葉を書くときに使うのは良くないですが、話すときならさほど問題ないし、気にしなければイライラしなくても良いかと。ら抜き言葉に限らず、私も含めてみんながみんな、ちゃんとした言葉使えているわけではありません。いちいち気にしてたらキリがないし、主さんも完璧な日本語使えてるわけではないかもしれないので…常識の範囲内ならいいと思います。