自己肯定感が低すぎる
自己肯定感が低すぎて悩んでいます。 例えば、両親から高い学習費用を出してもらっていたり、あったことを話すだけで親に喜ばれたりするのに「自分なんかが愛されるわけない」と認められないんです。客観的にみれば愛されているのに、「無価値で迷惑しかかけてない自分が愛されるわけない」と思ってしまう。 自分自身が愛されることを、認められることを俺が許せないような。まるで恨んでいる相手が幸せになるのを許せない復讐者のような。 あとはどれだけ良い成績をとっても「たまたまだ、驕るな」とすぐに自身を戒めてしまいます。 他者から褒められた場合も一瞬は幼い子供のように嬉しくなるのですが、すぐに「お世辞だ。調子に乗るな」と跳ね除けてしまいます。 何をやるにも自信がないから率先して行えないし、挑戦もできません。進路もやりたいことも目指す前に「俺なんかが出来るわけない」と自己否定してしまいできません。 勿論元から自己肯定感が地の底だったわけではありません。では何故堕ちたのか それは1つの失敗体験が原因です。 小学生の頃、俺は自尊心が高く復習に留まらず予習までする模範的な生徒でした。 テストでも常に満点を取り親から期待され塾に通わせてもらっていたんです。 塾では友達も通っていて、いつも友達と競い合っていました。 ですが大差をつけて敗けました。 理由は簡単。過度なストレスで中度の鬱状態にまで陥っていたからです。 どれだけ勉強しても、注意力散漫と睡眠の乱れによる睡眠不足により集中力が圧倒的に乱れていたからです。いつもなら20分で解き終わるテストも50分かけて半分埋まったレベルでした。 過去最低得点を叩き出し、親からも叱るどころか失望の眼差しを向けられて。 でも友達は俺より勉強せずに満点、幼かった自分のプライドがズタズタにされた出来事でした。 その後塾をやめました。 いつも天才だと褒めてくれていた先生も通ってもらうための常套句で、心の底からの言葉ではないのだと気が付きました。 塾をやめ中学生になってから友達との差は開いていき、初めての定期テストで「自分はもう友達の隣じゃない」と気が付いてしまいました。 それ以外にも出る杭は打たれ続け、成功体験が掠れるほど失敗体験を重ね続けた結果今の自己肯定感になりました。 どうすれば改善しますか?
みんなの答え
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自信を持って!
まずは自分に自信を持って何かできるたびに自分を褒めてみたらいいかもしれません!(僕はそうしてます!) 何か嫌なことがあっても、くじけずに、「よく頑張った」とか自分の頭をなでたりしたら自然に元気が出てきたり、自信がついたりすると思います!! 頑張ってください!!!(≧∇≦)b
考え方を変える
「成績が高いことは良いことだ」という考え方をやめたら、私は劣等感が軽くなりました。 テストなんて自分が何を理解しているか確認するためのものなので、満点を取らなきゃいけないものではないし、点の高低に優劣はない。「満点凄い!立派!」は嘘。 テストの点だけでなく、あらゆる能力の高低にも優劣はない。頭にも良し悪しはない。ないんですけど、競争心を煽るために優劣をつけてるんです。競争心は資本主義にとって都合がいいから。 上には上がいるから劣等感って終わりがないんですよ。だったら上下や高低に優劣や良し悪しをつけるのをやめた方がいい。 勉強は、自分の学びたい気持ちを満たすためにするものです。「劣りたくない」という気持ちからすると苦しくなってしまいます。 いきなりこんなこと言われても受け入れられないかもしれないけど、こういう考え方もあるんだなと心に留めておくと良いと思います。
無題②
諦めてる節もありますが、それ以上に僕は僕を信じています。自己肯定感の低い、自堕落で腐った根性の僕をこれが僕だって信じてます。失敗したら、仕方ないよ、所詮俺だもんって腹をくくってます だって考えてみてください。僕は僕以上の人間に慣れないし、あなたもあなた以上の人間になれませんから。至極当たり前のことを威張って言うなって思うかもしれませんが。それでも、僕は僕だって信じることはちゃちな励ましや非難の目よりも数倍は価値があるんじゃないかなって思います。それに、人間引っ剥がしてみれば、みんな案外そんなもんです。成功ばっか目立ってるやつも陰では失敗してるかもしれないし、失敗ばかりのやつも得意な分野は凄いかもしれない。そいつらは才能があったかもしれないし、努力したのかもしれないし、優秀な教師に教わったのかもしれない。でも、全部同じことです。得意があって、苦手がある。大事なのは自分の力量を図ることですね。それさえ分かってりゃなんとかなります。だってこんな僕がまだ生きてるんですもん 何より大事なのは自己肯定感の低い自分を愛してやることです。お疲れ、って言ってみてください。返事はきっと返ってきますから
無題①
ふとした瞬間でいいので、祈ってみてください。とは言っても神に祈るわけではありません。幸せになれますように、辛いことがありませんように、努力が報われますように、病気になりませんように……と願うんです。自分のために祈ることが難しいなら、親しい友達への祈りでも構いません。親しい友達がいないのなら、飼っているペットでも、二次元の推しでも、そこらへんの草や石ころでもいいです。色々な人に、ものに、幸あれと願ってみてください。 これは決して希望を持つための言葉やちんけな宗教勧誘ではありません。ただ、祈ってる間は自分が少しはいい人になれるような気がするのでおすすめです。 それと、出る杭が打たれるには限りがあります。最後まで潜っちまえばもう打たれることはありませんし。僕もたくさん打たれてきました。でも、ちょっとだけ打たれて良かったかもって思えます。傷ついた人にしか見えない傷はありますからね。 あと、失敗しまくって期待されなくなったとして、あなたは期待のために頑張るんですか?多分、違うんじゃないかなって思うんです。大丈夫、失望とか嘲笑とか慣れれば怖くないですから。