東日本大震災について。
こんにちは。雲叶です。まず、東日本大震災でお亡くなりになられた方々、ご冥福お祈りいたします。 今回は、3.11東日本大震災について皆さんとお話しできたらなと思います。 私は、まだ生まれていませんでした。東日本大震災という存在を知ったのは、ニュースでした。「東日本大震災から◯年」というのではじめて知りました。その文字のあとに流れていた、地震の映像と津波の映像は小さい私にも伝わるほどの衝撃でした。流されていく家。逃げる人々。 私には信じがたいものでした。現実でこのようなことが本当に起きてしまったのか、と。あの地震が無ければどれだけの人の笑顔を守れたでしょう。情報を通して悲しむ私よりも被災者の皆さんの方が何億倍も悲しみ、悔しさがあると思います。これからを生きる私たちが未来の子供達に伝えなければなりません。 震災を経験した皆様に質問です。震災の時の状況、気持ちや震災を経験したことのない私たちに向けて何かあると答えてくださると幸いです。 被災者の皆さんが悲しい気持ちになるようなことを書くのはお止めください。 生きている。それだけで幸せ。誰もが幸せになる世界になりますように。さようなら。
みんなの答え
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4歳だった
2006年生まれなんですけど、まだ誕生日来てなくて4歳でしたね。 私もほぼ覚えてなくて、何か言えるわけではないけど、地震とか津波とか、予知できないものだから怖いよね。。 それに、東日本大地震は地震や津波だけじゃなくて、 福島の原発事故、それの差別とかもあって、いろいろ問題が派生していったと思う。 話変わるけど、 私の地域は、南海トラフ地震が来るって言われていて、予想震度6で。 夏は暑いし、冬は寒いし、夜中だと家具とか倒れてきても気づけないし、電車の中だと高架の上だったら落ちる可能性あるし。 和歌山の南の方とかは、よく避難の練習してるらしいけど、私は中学校の避難訓練数回した以来だから、本当に怖い。 日頃から、いつ地震が起きてもいいように備えておく必要があるよね。 南海トラフより前に大きな地震が来るかもしれない。 もしかしたら明日かもって思ったら、毎日大切に生きようと思うし、対策をしっかりしようと思う。 もうすぐ、3.11ですね。 亡くなられた方、ご冥福をお祈りします。
ご冥福をお祈りいたします。
こんにちは。るると申します! 私もまだ生まれていませんでした。 でも地震の怖さはニュースなのにすごく伝わってきました。 津波が押し寄せて、住宅を飲み込んでいくのは、恐ろしいことだと改めて思いました。 たくさんの命がなくなってしまったこの地震は絶対に風化させてはいけないことであり、まだ若い私たちが後世へ語りついていくことが大切だと思っています。 防災訓練や避難訓練は雑にしてはいけないことだと改めて分かりました。 そして最後に、東日本大震災でお亡くなりになられた方、ご冥福をお祈りいたします。
実際に経験しました。
~挨拶省略~ 東日本大震災から、もう12年になるんですね… 私はそのときまだ赤ちゃんで、そのときのことはよく覚えてませんが… 実際に、震災を経験しました。 私達家族は、離れた場所に住む母方のおばあちゃんのお家に逃げたそうです。 避難勧告が出されて、大切なお家を残したまま… 結果的に、私達は無事でした。 でも、この震災で、何万人もの尊い命が失われました。 後から、実際の動画を見てみたんです。 がっしりとして頑丈な建物が次々と壊れていって、 電柱や車までもが波に飲み込まれて流されていって、 たくさんの人の悲鳴が聞こえて、 今までに見たことのないくらいの、巨大な怪物のような津波が襲って。 今まで町だった場所には、何も残らなくなって。 多くの人が、多くのものを失った… これを繰り返さない為にも、一刻も早く、震災を予知したいのが本音です。 でも、私達にはそれができない。 できないからこそ、今のうちから非常食などの準備をして、 自分達の身を守る。 そして、東日本大震災があったという事実を後世に伝える… これが大切ですね。 では~!雲叶さんに幸せパワーを!(*‘∀‘).♪.★
私は震災当時赤ん坊
こんにちは。らねです。 私は、当時まだ1歳にもなっていない赤ちゃんでした。 東日本大震災のことを初めて知ったのは、小学3年生の頃。 お姉ちゃんは当時8歳(小学2年生)で学校から帰ってきて数秒、揺れが起こりました。 お姉ちゃんは怖くて泣きながらも、私のことを心配してくれていたそうです。 お兄ちゃんも当時6歳(年長)で、まだ幼かったので、怖がり、泣いていたそうです。 お母さんにこたつの中に入れられ、無事でした。 私の住んでいるところは、津波はなんとかきませんでしたが、お店には物が全然売っておらず、関西に住んでいるおばあちゃんに送ってもらっていました。 東日本大震災を知った時、たくさんの亡くなった方々のことが思い浮かび、赤ちゃんから高齢の方までの多くの命が奪われたことが他人事にできなくて、少し怖くなりました。 東日本大震災で亡くなった方々、ご冥福をお祈りいたします。
続き
家に戻ると、お皿の破片や物が散乱していました。本棚も思いっきり倒れていて、ほとんど足の踏み場がない状態でした。 四歳で非力だった私に特に出来ることはなかったので、することもなくウロウロしていると地震で仕事を切り上げたお父さんが帰ってきました。お父さんは仕事のスリッパを履いたままだったので、それだけ慌ててたんだと思います。 幸い私達が住んでいた地域は内陸の方だったので津波による心配はありませんでした。ですが数日は電気や水道が使えず不便でした。特に電気は復旧までに時間がかかったと記憶しています。あとはお店も全て閉まっている状態だったので食料もなく、近くの小学校でわかめご飯の配布があったので、それに寒い中ひたすら並んでいました。 現在、宮城県の沿岸沿いへ行くと古い建物はほとんどありません。大体が新しい建物か、あとはただの野原です。私はその光景を見るたび、現在私が立っている場所は11年前沢山の人が流された場所なんだという現実を突きつけられ胸が痛くなります。同じ出来事を起こさないため何が出来るか、普段からしっかり考えたい。
もう13年か...
こんにちは。名探偵ちびです。 私は5歳でした。兄は小1でした。 まさに地震が起きる前、私はテレビを見ていました。地震が起きた瞬間、子供ながら思いました。(どうなるんだろう)と。地震が収まった直後、父は兄を迎えに学校まで行きました。兄の学校では図書室の本が落ちてきたり、椅子が倒れたりしていたそうです。少し成長してから思いました。(大きな地震だったな)と。今思うとあんなに大きな地震生まれて初めてでした。小さいながらあんなこと思っていた自分が少し怖く思いました。現在、東日本大震災から12年、もうすぐ13年。私ながらすごく早い13年でした。東日本大震災で亡くなった人は数知れません。しかし、亡くなった人に恥を残さぬよう、精一杯生きていきたいと思った今日この頃です。 亡くなった方には本当にご冥福をお祈りします。 長文失礼いたしました。
当時四歳でした
震災当時生まれてなかった子が、震災のことをこうやってきちんと考えてくれていることが、経験した身としては嬉しいです。 さて本題です。 東日本大震災が起きた当時、私は四歳でした。その日私は家にいて、こたつで折り紙なんかを折っていました。その時突然家が揺れ、地震だと分かった瞬間こたつの中に潜り込みました。 私は正直すぐ地震は収まるだろうと思っていました。しかしどんどん尋常じゃない揺れとなっていき、潜っていたこたつもみしみしと音を立てるようになっていきました。こたつの外ではお皿の割れる音、本棚が倒れる音、時計が落ちる音などが聞こえてきて、びっくりして思わず目を瞑りました。 気がついたら、お母さんがこたつの中を覗き込んできていて「外に避難するよ」と言ってきました。私はその時初めて揺れが収まっていたことに気がつきました。 お母さんに連れられ急いで外に行くと、近所の人達がみんな外に出ていました。その時にも何度も余震が起きていました。 ある程度地震が収まり家に戻ると、家の中がめちゃくちゃになっていました。文字数やばいので次に行きます。
この震災で得た教訓は。。。
関西淡路大震災では、倒壊した家屋の下敷きになり救助が間に合わず亡くなられた方、倒壊家屋や建物に閉じ込められても生きてはいたが、震災後の火災で亡くなられた方も多かったので、いかに救助を早くするかが大事かということです。 緊急地震速報が来たら、津波が来そうな地域では即座に高台に避難するというのも学んだ教訓です。 ボランティアというテイできた食糧を配ってる人の中には、お金を取ろうとする悪い人もいるんだというのも教訓の一つです。 冬季の地震では凍傷や凍死の恐れがあるので、その対策も事前にしておかねばならないなというのも教訓です。 夏場は夏場で、水分補給がままならないので熱中症への対策や脱水症状にならないようにする対策もしておかねばならないですし、季節に応じた対策も必要なんだなと思っています。 とにかく心が痛いのは、津波では助かったのにその後の救助が遅れて、季節柄の状況で亡くなられた方が多いというのが、何とか助けられなかったのかと、悔やんでも悔やみきれないことです。
長周期地震は恐ろしいという事です。
まず皆さんに一つ言えることは、「長周期の地震は恐ろしい」です。 冷蔵庫も動く、洗濯機も動く、リビングにある色んな食器が入ってて重いはずのキャビネットまでもが動く、 とにかく重くて普段は動かせないものまで動いてしまうのが、長周期の地震の怖い所なんです。 20階建て位のマンションの上階で建物自体の耐震設備が充実していても、もの凄い揺れが伝わってきてあらゆる家具などが動いてしまうのです。 耐震や免振がしっかりしていても、長周期の地震では無力であることが思い知らされた地震が東日本大震災です。 震災後の計画停電でも、かなり生活に支障をきたすので、パソコンの電源を一々落としたり、停電中は冷蔵庫の開閉をしないなど、本当に大変でした。 当時は真冬の寒さで東北では雪も降っていたので、津波で濡れた方がかろうじて水面の上に登ったりして逃て、車の上や電柱や家の屋根につかまったままの状態で「助けてください」の声を発していたのに、次第に声が聞こえなくなり凍死した方が多数おられました。 津波では助かったのに、その後の救助が間に合わずに亡くなられた方が多いというのが、もの凄く心を痛めました。
0歳か1歳だった...
柚花、参上っっ! 私にその時の記憶は全くないけど、 角川つばさ文庫の災害の本を読んで怖さがすごくわかった。 (世界はとつぜん変わってしまう?もし、「あたりまえ」の毎日が、ある日とつぜんうわれたら?を考える本 百瀬 しのぶ:文) 目の前で人が亡くなっていたり。 自分の思い出のつまった家が、跡形もなく消えたり。 大切な人がいなくなってしまったり。 家族と離れ離れになってしまったり。 いつもの当たり前、普通がなくなってしまったり... 防災訓練のとき、多くの人が、 「早く終われ~」「意味ないじゃん」「面倒くさいなぁ」 と思っていると思う。 でも、実際に防災訓練のおかげで命が助かった人もいるんだ。 やりたいことも、知りたいこともたくさんあった、 未来のある多くの人が亡くなったことは、とても悲しい。 今、地震や苦しい事うを体験していない人たちには、 本当の怖さ、恐ろしさ、苦しさ、絶望はわからない。 でも、その事について考えて行動することはできる。 私も、考えて行動できるようになりたい。