君と、ネオンテトラの水槽で。
ネオンテトラの水槽が待合室に置かれ始めたのは、つい最近のことだった。 「ねえ芹、熱帯魚のお世話、してみない?」 学校終わり、親の小児科クリニックに入ると同時にそう言われた。待合室の窓辺には見たことない水槽と、小さな魚たち。 「……なんで? この魚、朝いなかったよね?」 「今日業者さんを呼んだの。これからも週に一回お世話に来てくれるんだけど、それ以外のお世話は芹に任せたいなー、って」 受付から顔を覗かせた母は、そう呑気そうに呟く。 「なんで私?」 「あなた暇でしょ。部活も辞めて、勉強もしないし」 その通りだった。入学早々吹奏楽部は一ヶ月で退部。女の子の輪に入るタイミングが掴めず、勉強も上手くいかない。 返す言葉もなく、ごまかすように水槽を見る。綺麗な水草や可愛らしい置物。そして、たっぷり入った水の中、十匹ほどの魚が揺れていた。 赤と青のうろこが、光を受けてキラキラ輝く。泳いで、水草を突いて、そしてまた浮上していく……。 「……綺麗……」 「ならさ、ちょっとやってみようよ。今度こそ続けられるかも知れないし」 私は、何かを始めるのが怖かった。また諦めて、ダメになりそうだったから。 ──でも、この魚たちとなら……。 こうして、この美しい魚と私の毎日が始まることとなった。 次の日、いつもより早く家を出て、家の隣のクリニックに入る。待合室には昨日と変わらずに熱帯魚が泳いでいた。 教えてもらった通りに水槽のふたを取り、水に水温計の先を付けてみる。しばらく待つと、水温計のモニター部分に『24』と表示された。 (水温は25度前後が良いって言ってたし、これで大丈夫かな…?) 少し安心して、フレーク状のエサをあげた後、私は学校へと向かった。ちゃんと出来たか不安もあったが、それ以上に胸は高鳴っていた。 放課後、真っ先に駆け込むと、変わらず窓辺でゆらゆらと泳いでいた。 今日一日、授業に集中できなかったのは、この魚たちのせいだろう。水は冷たくないか、エサは足りていたか。そんなことを考えていたら、ずっと落ち着かなかった。そう言えば、昔メダカを飼っていた時もこんな気持ちになっていた。 でも、気持ちよさそうに泳ぐ魚たちを見て、そんな焦りもすっかり無くなった。綺麗で、とても美しくて───。 「ねえ、この魚、ネオンテトラだよね?」 「!?」 突然に驚き、振り返ると、メガネをかけた小柄な男の子、同じクラスの赤坂くんが立っていた。じーっと水槽を目を輝かせて見つめている。 「赤坂くん!? なんでここに……」 「なんでって……この辺りの病院ってここだけだし。風邪薬をもらいに来たんだ」 「あ、そっか、そりゃあそうだよね…」 そうだった。ここ病院なの忘れてた。 私がうつむいていると、「そんなことより!」と赤坂くんが食いついて来た。 「この魚、ネオンテトラだよね!? この前は居なかったのに!あ、ネオンテトラって知ってる? 小型熱帯魚で、アマゾン川が原産の可愛い魚で、ウロコがとても特徴的で……!」 「ちょ、ちょっと待って!」 私が止めると、赤坂くんは恥ずかしそうに顔を少し赤くして、「ご、ごめん」と言って下を向いた。 「俺、熱帯魚が好きで…。佐々木さん好きなのかな、って思ったら止まらなくて……」 「え、いや……。えっと、エサ、あげる?」 「えっ、いいの!?」 今度は勢いよく顔を上げて私の手を掴む。急で焦ったが私は小さく頷く。すると、赤坂くんは嬉しそうに目を細め、そっと水槽にエサを巻いた。 ネオンテトラたちはエサを少し突いて、小さく食べ始めた。ぱくぱくとゆっくり食べ進めていく。 「……赤坂くんは、熱帯魚飼ってるの?」 「あー、いや、飼ってない。でも好きで、図鑑で見たりしてる」 「そうなんだ……」 愛おしそうにネオンテトラを眺める。普段学校では見かけない、やわらかい笑顔にドキッとして、目を逸らして水槽を見つめた。 エサが食べ終わると、赤坂くんは満足そうに立ち上がった。 「可愛かった、ほんとにありがとう!それじゃ、薬もらったし、俺は帰るね」 「えっ……!」 も、もう……?私、もっと赤坂くんと────! 「ま、待って!」 私は赤坂くんの袖を掴んだ。驚き、目を見開く赤坂くん。顔が熱くて、心臓がうるさかった。 「あっ、あの……っ!私と、ネオンテトラのお世話、一緒にしないっ!?!」 緊張と不安。 かすかに、恋の味がした。 君と二人、ネオンテトラの水槽で。