ロスタイム・リグレット
「私たち、いつ死ぬんだろう?」 眠れない日は天井の格子模様がいつになく不気味に感じられる。 眠れないのは彼女も一緒なのだろう。そんな話題を口に出しながらどうしてけらけらと笑っていられるのか、私にはわからない。 「いつ、って。そんなの分かんないけど」 大気汚染が原因で生まれつき重い病気を患った子供が多く生まれていたのは、10年以上も前の話だ。 最近は環境破壊も減っていると数日前の新聞には書いてあった。でも今がいくら良くなったからといって当時の被害者が未だ苦しみ続けている事実は何も変わらない。私も彼女も、そのうちの1人だ。 ここは専用入院棟。忘れられた被害者の牢獄で、私たちは外の世界を知らない籠の中の小鳥。 手首に巻かれたバンドの色がもう余命は長くないことを教えてくれる。私のバンドも彼女のバンドも「もう治療の見込みがない」の真っ赤。だから彼女は私に尋ねた。いつ死ぬのかと、迫り来る未来を言語化して。 …もうすぐ死ぬんじゃないの。 そんな言葉を飲み込み目を固く閉じる。病を患った肺が痛い。彼女が自虐的なのかなんなのか知らないけどさ。 「私は、死にたくないな」 *** 窓の外の世界では恋愛小説ブームがきているらしい。 私はこの間賞を取った本を読んでいた。彼女のおすすめだ。 重い肺病の主人公と、心臓疾患を持った隣のベッドの人。2人は話すうちどんどん惹かれあっていく。主人公は告白しようと決意するも次の日起きたらその人は亡くなっていた。棚の中には主人公への愛を伝える手紙と自分が死んだらその肺を主人公に移植してほしいという書類が残っていて、主人公だけが元気になって生きていく。どうしようもない後悔の中で。 簡単に説明すればそういう話だ。 つまらなくはなかった。綺麗な情景描写や緻密に描かれた心情。だからこそ御伽噺じみているフィクション・ストーリー。 世界はそんなに甘くない。死は唐突に訪れて、大切な人に愛を伝える暇なんて死んだ人は貰えない。 都合が良過ぎて夢を見たくなってしまうよ。 「私、この本嫌いだ」 「…ふは」 それを聞いて、彼女は思わず、と言ったように笑みをこぼした。 「それ、涙声で言われても、説得力ないなぁ」 *** その日は本当に突拍子もなく訪れる。朝、騒がしいたくさんの声で目が覚めた。 「あの、何かありましたか?」 眠い目を擦って自分達と少ししか歳の違わない主治医に尋ねる。 「何の予兆もなかったのか?」 「何が…?」 主治医は眉根を寄せて息を吐くと、すっとかがみ込んで、私と同じ目線で、話をした。 朝早くにナースコールが鳴り、押したのは彼女だったこと。彼女は今重篤状態にあること。おそらくもう助からないこと。辛うじてある意識の中でずっと私の名前を呼んでいること。 「連れていって。あの子に会いたい…どうせ私も長くはないんでしょ?」 私が思わずそう口に出せば主治医は少し悩んだ素振りを見せたけど、ため息ひとつ、私を抱き上げた。 年齢はそんなに変わらなくとも男女の差はあるしずっと入院していれば体格差だって圧倒的だ。 「…ありがとう」 下唇をきつく噛んだら、薬の副作用で弱った皮膚からは血の味がする。 緊急治療室のランプは色褪せているはずなのに、私たちの腕のバンドよりも赤かった。 裸足のまま治療室の床に下ろされて、ぱたぱたとベッドに駆け寄る。 「…話しかけても平気なの?」 「それを望んでいるからお前はここに来たんだろ」 何を話せばいいのかわからずに戸惑っているうちに彼女が薄く目を開いた。 「…来てくれたんだ」 「!」 「いいの。…あのね、私、君にあやまらなきゃ」 「…何を…?」 「何年も前、おやつのプリンを君の分まで食べちゃったこと。それに、君のぬいぐるみの毛をちぎっちゃったこと。君のことを不意打ちで驚かせて遊んじゃったこと」 「いまさら、そんなこと?」 涙で視界が滲む。何年も前から、生まれた時から、一緒だった、他人の私たち。 私だってあやまりたいことがいっぱいあったのに。 「それと…あの小説を書いたのが、私ってこと。隠すつもりじゃなかったけど。君はあれが嫌いって言ったから、言い出せなくて、」 私は言葉に詰まる。「先生、」彼女が主治医を呼んだ。 「棚の一番上の段。最期の我儘くらい許してよ」 *** 棚の中には手紙。愛の手紙、私への臓器移植の書類と一緒に。 …最期の時。彼女の目は既に失明状態だったそうだ。 だから「いつ死ぬんだろう」。皮肉でもなく、彼女にはバンドの色が見えていなかっただけ。 どうやって生きろというのだろう。お揃いの赤いバンドすら、私にはもう、ありはしないのに。 告白すればよかった、と。涙すら枯れて、後悔だけが渦巻いていた。