不登校中の人、または自殺しようとしている人へ
生きている価値がない。 生きられない。頑張れない。 死にたい。 私、神澤里琴(かなざわりこ)は、 いじめにあっていた。 かなり酷かった。 死にたい。生きたくない。生きられない。 本当にそうだった。 死にたい。 そんな私を支えてくれたのは、 近所のおじいさんだった。 おじいさんと出会ったのは、秋の終わりごろ。 病気で、もう半年も生きられないという。 お母さんは、そのおじいさんとは前から顔見知りだったようで、 「お見舞い行かない?」と声をかけてきた。 私はいいよと答えた。 おじいさんはベッドで寝ていた。 おじいさんは、私と二人だけで話がしたいといった。 おじいさんは、私が不登校なのを知っていたらしい。 おじいさんは話し出す。 「お前の辛い気持ちはよーく分かる。死にたいと思うのもよーく分かる。 頑張れない。辛い。味方がいない。もう無理だ。そうだろう?」」 おじいさんはかすれた声でゆっくりと言った。 私はうなずく。 おじいさんの言葉通りだ。 気持ちを分かってくれる人がいた。 「いいか。死にたいと思うのは分かる。でもそれじゃぁカッコ悪いと思わないか?」 涙目になった。 おじいさんが言っている言葉が、どこかの宝物のように思えた。 「わしはもう1月生きられるか分からないくらいの状態だ。死ぬと確定しているんだ。 いいか、里琴。今からわしが言うことは正しい。忘れるな」 おじいさんはそういった後、一息ついて私の目を見た。 「お前には未来がある。そうだろう?」 私は、心の霞が一気に吹き飛ぶのを感じた。 「わしにはどうしたって未来がない。でも、お前には未来がある。その未来を変えられる。 わしはどうじゃ。どうもがいても未来を作ることはできん。それがどれだけ辛いか、分かるか」 ああ、と思う。 私は、カッコ悪い・・・・・。 「もうわしは諦めた。だが、お前が諦めるには、早すぎる。必要ない自殺をするんじゃない。カッコ悪いぞ」 おじいさんの言葉は、胸に深く残った。 おじいさんは、私の命の恩人だ。 私は目を閉じて、「生きる」の大切さを考えた。