もうちょっとだけ。
「架菜芽(かなめ)、落ち着いて聞いて……。 マナは、安楽死にすることが決まったの」 獣医さんから話を聞いた後の母は、 疲れ切ったような顔で、 私に目も合わせずにそう言った。 「へ……」 私は喉の奥が震えるような感覚で、 うまく言葉を話すことさえできなかった。 「もっと他に、方法はなかったの? 安楽死って……マナは死んじゃうの?」 大好きな私のペットの犬、 “マナ”の死が受け入れきれない私は、 父と母に、絞り出した声でそう言った。 母は小さく首を縦に振って、父は私に話す。 「マナが苦しまずに天国に行くには、 これしかないんだ。 まだ、マナの耳は聞こえる。 架菜芽、マナに挨拶してあげなさい」 そう言って父はマナがいる部屋の扉を 開けて、私にマナの姿を見せた。 あと少しで死んでしまうということを 感じさせないほど、マナはいつもと同じ姿だった。 息をするマナの体が、小さく動く。 私はマナに話しかけた。 「マナ、まだ聞こえる?私だよ。架菜芽だよ。 ごめんね、マナ。こうなるって知ってたら、 私はもっとマナを散歩に連れて行ってあげられたし、 スマホなんて触らずにマナに構ってあげられたのに」 自分でも話していて涙が溢れてくる。 私はまだ温かいマナの体をギュッと抱きしめて、 「まだ冷たくならないで」と願うだけだった。 「こんな私だけど、 マナは私と一緒にいて幸せだった?」 私がそう言うと、 マナはいつものように、 私の額に自分の額をくっつけた。 マナは、私が悲しんでいる時は いつもこれをしてくれたな、と思い出した。 友達と喧嘩して泣いた時も、 親に怒られて部屋に閉じこもっていた時も、 マナはずっと私のそばにいてくれた。 ふわふわとしたマナの毛並みが、 とても優しかった。 この温かさにもうちょっとだけ触れていたい。 私はそう願うけど、 マナは今にも眠りに落ちそうだった。 次、マナの目が覚めることはない。 マナもそれを理解しているのか、 私の手の上に、小さな手を乗せた。 私はその手を握って、最後に話しかける。 「ありがとう、マナ。 私はもう大丈夫だよ」 【end】