勿忘草は持たないで
緩めのネクタイ、白い肌、細い身体、儚げに細められた瞳。 何処か人外じみた美しさを持つ彼女は、俺の先輩だ。 ・ ・ ・ 灰色のショートカットの髪が暖かい風で靡かれている。 細められた瞳が僕を認識した。 「……先輩。」 「よお。」 久しぶりに会ったと言うのに気楽に一言言っては煙草に火をつける先輩。 「久しぶりの挨拶はそれだけっすか」 「まあ……別に何も言うことなんて無いからな。」 そう言って先輩は僕から視線を逸らして、満開に咲き誇った桜の木を見つめる。 「今年も立派に咲きましたね。」 「ああ、何日持つか。」 「終わりを考えないでくださいって、せっかく綺麗に咲いてんのに」 「そういう性格なんだよ」 暖かい風が頬をなぞる。 無言でも気まずくならない、心地のいい空間。 春の何日かしか訪れない先輩とのこの時間が、僕はたまらなく好きだった。 どこか苦しくなるくらい満開に咲き誇った桜を見ては、 先輩は吸った煙草の息を吐きだす。 「美味いっすか?」 「クソ美味い。」 先輩の年齢も知らなければ、名前も知らない。 個人情報を何もかも必要としない不思議な関係が、たまらなく好きなのだ。 「先輩、桜の樹の下には屍体が埋まっているって知ってますか?」 「……ああ。それで?お前はこの樹の下に屍体が埋まっているとでも?」 「……」 少し、時間が止まる。 こちらをじっと見てくる、 何も映らない先輩の瞳の中を見つめる。 真っ黒で、光の届かない闇夜のような 「……いや。そうでなくても、そうであっても。 桜が綺麗なことに変わりはないので」 「……そうか。」 今はまだ、見ないふりをしていよう。 明るい太陽が先輩の身体を透過することも 先輩が僕の言葉に心を揺さぶらされていることも 先輩が、僕が知っているということに見ないふりをしていることも。 秘密を桜の花に隠して僕らはまた出逢うのだろう、きっと。 「……じゃ、次はなんか持っていきますね。先輩」 「……楽しみにしとく。」