短編小説みんなの答え:1

哀愁

いつも通り、8時に退社して古びたアパートの扉を開ける。キィーッと悲鳴を上げる扉にそろそろ引っ越そうかなと考えた。 変わらない光景。 何度変わりたいと思っても変わらないこの生活にたった一つのため息をついたところで誰も咎めることはしないだろう。 はあーっ、 もう何もしたくない。 こんな夜は、化粧も落とさずに無駄に広いキングベッドにでもダイブしてさっさと寝てしまおう。 倒れ込む様に寝転がった私をふわりと包み込む懐かしい香り。ベッドに染みついた、彼が好んだ爽やかなミントの香りに私は顔を歪めた。最近はこうして彼のことを思い出す事も少なくなってしまった。 「ねぇ、大好きだよ。」 私が彼を求める声も、薄暗い部屋に消えていく。 彼には届かず仕舞いだ。 涙が零れないように天を仰ぐ。 「ねぇ、まださ私の事覚えてる?」 泣きそうな声でもう一度。 問いかけても問いかけても彼の暖かい声が返ってくる事は無いのだ。 もう何年か前に見ず知らずの誰か庇って天国に行ってしまった彼。 あの、燃え盛る炎と私の切り裂く様な悲鳴はきっと、死んでも忘れる事はないだろう。 自然と涙が溢れてくる。 止まることを知らない涙は、真っ白なシーツを濡らしていく。あぁ、と嗚咽が漏れる。 助けなくだって良かったのに。 あのまま一緒に逃げて仕舞えば良かったのに。 何度考えたってそう思ってしまう。 あの時逃げていれば、今頃どんなに素敵な人生を歩んでいたのだろうか。 そんな私を正義感の強い彼はそんな事出来ないと笑うだろう。 でも、もし違う未来があったなら。 「もっと、一緒に居たかったよ。」 こうなって仕舞えば、溢れる想いを止めることなど誰にも出来ない。一度穴を開けて仕舞えば、ドクドクと感情が溢れ出す。 ひとしきり泣いた後、彼女はもう一度ベッドに寝転がって笑った。こんなに泣いたらまた怒られちゃうねと溢しながら。 「愛してる」 そして、また明日から始まるいつも通りに彼女はそっと目を閉じた。                    

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