ヤツが来る。
今夜は、“来る”日だ。 そのせいか、祷(いのり)の部屋の空気は、いつもより張り詰めている。 真ん中で正座するお婆さんが、口を開いた。 「今宵(こよい)、魔鹿(まか)様がいらっしゃいます。一同、祷(いのり)の準備を」 それを合図に、大人たちが動き出す。 わたしたち子供も、支度を始めた。 わたしは、今17歳。 来月上旬、18歳となる。 魔鹿様に捧げていいヒトは18歳未満だから、今月の祷(いのり)が終わればわたしは捧げの対象にならない。 今月だけ。 今月だけ我慢すれば、毎月のあの恐怖から解放される。 今、わたしの心臓は、ドクドクと爆発しそう。 祷(いのり)の衣(ころも)に着替えて、部屋を囲む大きな窓を、真っ赤な壁掛けで隠す。 ちょうどその時、時計が深夜0時を告げた。 「……皆、集まりなさい」 いよいよだ。 いよいよ、ヤツが“来る”。 ドクン ドクン ドクン ドクン 止まらない心臓を抑えて、他の子供と同じように床に伏せる。 中央に集まる子供を、大人が囲むような格好になった。 0歳から17歳まで、子供の年齢は様々。 ちなみに、17歳はわたし一人。 他の同い年の子は、もうみんな捧げられたんだ。 今月だけ。今月だけだから……! 「……ユナちゃん」 横から、手を握られた。 16歳の、マイだ。 「大丈夫だよ。今日に限って、ユナちゃんが選ばれるなんてこと、ないから。がんばって、耐えて」 マイは、わたしと1番の仲良し。 励まそうとしてくれているんだ。 「うん。ありがとう、マイ」 ガチャ 静かに、ドアが開く音がした。 ……来た! 手を離して、目をぎゅっとつぶる。 足音が、近づいてくる。 足音は、しばらくわたしの周りをうろうろして。 そして、わたしの前で止まった。 まさか……わたし!? うそ。やだ。 まだ、生きたいのに。 あと1ヶ月だけ。 今月過ぎれば、解放されるのに。 やだ、やだ、やだやだやだ!神様! その瞬間、体が一瞬熱くなった。かと思うと、横からマイの気配が消える。 「えっ、やだ!やめてっ……やだよぉ!誰か……助けてぇ!」 そのまま、足音は遠ざかって……。 バタン ドアが閉まった。 みんな、バラバラに顔を上げる。 「今月の祷(いのり)は、マイに決定。ミナミ・マイです!みな、喜びましょう!」 「ミナミ・マイ、おめでとうございます。心より、お祈り申し上げます」 ミナミ・マイと書かれた真っ赤な掛け軸を、お婆さんが火で燃やす。 「……ユナ」 お母さんが、わたしの肩に手を置いた。 途端に、堪えていた涙が溢れ出す。 「わかる。わかるよ、ユナ。悲しいよね。マイちゃんがいなくなっちゃって、悲しいよね。でもね、しょうがないの。仕方のない、ことなの……」 違う。お母さん、わかってない。 そうじゃなくて……わたしが選ばれなくて、代わりにマイが選ばれて、ホッとしているんだ。 人間は、そういう汚い生き物なんだ。 昔、お祖父さんが魔鹿様に殺された理由が、わかった。 魔鹿様はこの世界から、ヒトという汚い生き物を、排除しようとしているんだ。 だから、こんな儀式までやらされて……。 でも、仕方ないんだ。自分が生きていくためには、誰かを見捨てなければいけないんだ。 そうだ。あってる。これで、いい。 ……これで、いい。 end