Fleeting tone and Clarinet.
一緒にいれるだけで、それでいい。 そう、思ってたのに。 彼の名前は、出会ってから1ヶ月経ってようやく覚えることができた。特に珍しい名前ではないけれど。 彼の奏でる楽器の音色が好き。もしかしたら私は彼の演奏を聴くために神から謎の電波信号を受け取って吹奏楽部に入ったのかもしれない。 「璃愛。」 彼の私を呼ぶ声が愛おしい。少しだけ幼い声が、とても。 「…どうしたの。」 「楽譜忘れちゃってさ。2ndだよね?ちょっと見せてもらっていいかな。」 私は黙ってファイルを渡すと、彼は少ししてありがと、とにっこり笑って返してくれた。 「ここねえ、1stも3rdも動き違うから難しいよね。アルサクが確か同じだったから、今度合わせに行こう。」 私はこくりと頷いた裏でニヤニヤしてしまった。 ___だって、樹くんと、話せた。この出来事があっただけで3ヶ月は何も食べれずに暮らせるよ。しかも私のこのファイル、彼が触った…! 無理やりニヤニヤを抑え、リードに下唇をつけたところで、冷静になった頭に話し声が飛び込んでくる。 「分かりますか!」 「うんうん分かる!」 彼とパートリーダーの桜先輩との話し声。仲、いいんだよね。 うん、分かってるよ。君たち、両思いなんでしょう…? イライラしながら放った息は、見事にリードミスを生み出して散った。 「璃愛ちゃん。」 ある日、桜先輩が話しかけてきた。 「璃愛ちゃん、いつも楽器吹くとき合ってるから自信持って大丈夫だよ。」 彼も後ろからにこにこと見守っている。 けれども桜先輩は声色と目線から、「負けないよ」という意思が感じられた。 ___その時だった。 がしゃん、と誰かの崩れ落ちるような音が音楽室に響いた。 音の発信源。まさかと思い顔を向けると、それは……彼、だった。 “生徒には詳しい事情は教えられない。” どの先生に聞いても、返ってきたのはそんな返事だった。 ここ最近、彼は学校に来ていない。 音楽室に来る度に、いつもいる彼がいないのを思い出して悲しくなる。 「…璃愛ちゃん。」 「ひゃ!?」 後ろには悲しそうな、でも何か心強い笑みを浮かべた桜先輩がいた。 「いっちゃんが入院してる病院、職員室の会話盗み聞きして分かったよ。」 「本当…ですか…!」 「うん。部活、休んじゃお。」 私は頷くと、ふと、ある考えが浮かんだ。 「樹くんの楽器、持ってっちゃダメでしょうか?」 先輩はにやりと笑って、パートリーダーの権限で許可する、と赦してくれた。 ごくり。 ここが、彼の入院してる部屋。深呼吸をして、ドアノブに手をかけようとしたが先輩に先に開けられてしまった。 「……璃愛?先輩?」 中には、少々困惑気味の彼がいた。 「お見舞い、来たよ。」 「事情知りたくてね。」 「………そうですか。」 彼は悲しそうな顔をした。そして吹っ切れたように、とんでもないことを言ったのだ。 「おれ、余命3ヶ月らしいんです。」 ___時が止まった。 「……は、?いっちゃん…それ、…本気……?」 先輩は絞り出した声でそう言ったが、私は何も声を出すことはできなかった。 「本当っすよ。おれ今度から抜けちゃうっすけど…まあ、色々頑張ってください。」 「……あのね、一応、持ってきたよ。楽器。」 私が楽器をベッドに置くと、彼はすごく驚いたような顔をした。 「もう一生、吹けないのかと思った…。」 涙ぐんで言った彼のその顔を、今後忘れることはないだろう。 涙を流しながら吹いた彼の音色は、今まで聞いた音の中で、いちばん…綺麗だった…。 タイムリミットが残り約1週間になったとき、私たちは職員室に呼び出された。 「関わってはいけないって何度も言ったじゃないですか!」 先生の怒鳴り声が、静かな職員室で響く。 「もうあの病院に行くことは禁止にします!」 先生のその言葉に、私は喉がひゅっと鳴った。 残り、1週間なのに…?最期に会うことすら叶わないの…? 「……分かりました。行こう、璃愛ちゃん。」 「あ…」 唇を噛み締めた桜先輩に手を引かれて、教室に連れて行かれた。 「璃愛ちゃん。もう病院、行っちゃだめだよ。」 先輩にそう諭されて、私は本格的に絶望する。 病院側も、この学校の生徒は入れないよう手配されているだろう。 ………なんか今日は…すごく嫌な予感がする…! 私は走った。 学校を飛び出して、ちょっと遠くの病院へ。 「はあ…は、あ……」 どうしてこんな真っ昼間に。そんな顔をした病院の職員がここ通っちゃ駄目だよと優しく注意をする。 「どいて!」 私は人々を押しのけて病室に入った。 「樹くん!」 一緒にいれるだけで、それでいい。 そう、思ってたのに。 「樹くん、私…!」