東日本大震災について
2011年3月11日に起きた東日本大震災の話です。 少しでも辛いな、と思う方は閲覧をお控えください。 さて、先日東日本大震災から13年がたちましたね。 私は当時、5歳で被災しました。 宮城県にいたこともあり、被害は甚大なものです。 大きな揺れや津波を思い出すと今でも胸が痛みます。 地震発生時、私は本当なら幼稚園にいたはずなのですが、たまたま母が休みでその日は家にいました。 大きな揺れが来て、私たちはすぐに避難しました。 母、父、祖母、祖父、従兄弟など親類は皆無事でした。 ですが、幼稚園の同い年の子供がふたり、園全体では7人もの子供が亡くなりました。 幼くして被災し、トラウマを植え付けられ、私はPTSDと診断されました。 この地域は被害が大きかった、私のところはそこまで被害がなかった、ではなく、 被災の経験がある方のトラウマは計り知れないものです。 もちろん、東日本大震災だけでなく、阪神淡路大震災や能登半島地震などに被災した方もです。 ですので、ここで被災時の経験について話し合いませんか? 出しゃばるとか、そんなことはありません。 あなた方の想いを聞かせてください。
みんなの答え
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辛かったですね、、
こんにちは、さて、宮崎県にいたんですね。辛かったでしょう。でもその時何を感じた。「憎しみ」「悔しみ」「悲しみ」みんな一緒です。あなたは東日本大震災のとき何を感じた。かが大切になってきます。東日本大震災のとき、あなたが受け取ったのは、「負のバトン」というものですね。「死ぬよりかはマシ」ですがね、、合掌
悲しい事件ですね…
私はいま12歳なので東日本大震災は経験していませんが、忘れてはいけない事件ですよね。たくさんの尊い命が失われていくのは亡くなった方達も生き残った方達も心に大きな傷が残りますよね…こんな悲しい事件が起こらないように、1つでも命を守れるように、しっかり対策をしないといけないですね。悔いのないように、1日1日を大切に生きていきたいと思います。
辛いですね...
私は東日本大震災の4か月後の7月に青森に生まれました。 私が生まれた地域は水産業がさかんだったので津波が来たそうです。 -------------------------------------------------------------------------------- 体験談を話していきます(母のですが) 東日本大震災が起きたとき、母は外をお散歩していたと言います。 そして東日本大震災が来ました。 来たときは、歩けなくなるほどの凄い揺れだったと言います。 それでもまだお腹の中にいる私を守ってくれたことにとても感謝しています。 もしそのときに母がなくなっていたら私はどうなっていたでしょう。 そう考えるだけでも胸が痛みます。 これから先地震がなくなることはありませんが、もうこれほどの大きな地震が起きないでほしいと思います。
姉の話になります
姉は現在20歳、当時7歳で被災しました。 下記姉の体験談となります。 小学生だった私。3月11日、その日は誕生日でした。 友達や両親、親戚にプレゼントを貰い、ひとつひとつを大切に保管していました。 ですが、地震が発生し、私の住んでいる地域にも津波が流れ込んできました。 避難が遅くなった私たち家族は、家の屋上で助けを待つだけ。 様変わりした風景、大量の津波で泥まみれになった私物たち。 中には、貰ったばかりの誕生日プレゼントもありました。 辛くて、辛くて、沢山泣いたあと、私は眠ってしまったと言います。 気づくと避難所にいて、今も生活に支障無しに生きています。 正確な診断は受けていないのですが、恐らく私は当時なんらかの精神病を患っていたと思います。 同級生や知り合いが亡くなり、ショックだったんでしょうね。 酷い被害を受けた宮城の中でもかなり被害が大きかった地域に住んでいたので、 同級生なんかは語り部として活動していたり、テレビの取材に応じている方もいます。 私は今、カウンセラーを目指しています。 自然災害で悲しむ人がいない世界になりますように。
怖かったよね…
dreamです、よろしくね(^^) 今回だけ都道府県公開してるけど、うちも宮城県出身で、震災の時も宮城県にいて怖かった…! あの時近くの小学校の体育館が 避難所になって、そこに避難所してたんだけど、食事はおにぎりや少しのいちごだったのを覚えてる…あの大きな揺れはトラウマになるよね…今日の夜中も福島県で最大震度5弱の地震があったけど、こっちも かなり揺れて震えが止まらなかった…!最近色んな所で地震が多いから気をつけないとね…! それじゃあまたね☆彡
辛いですよね…
おいらは,東日本大震災の起こった2日後に生まれました… 出身は岩手県です…。あの滑稽はあまり覚えていないけど, もの凄く残酷な雰囲気でした。生まれてからすぐに,富山へ行きました。そこから12年ぐらい?経過してから元日に能登半島地震が襲いかかってきました。富山は震度5強,弱でした。とても揺れ, 隣にいた妹(9)は泣き叫んでいました。私も泣きそうになりながらも親が守ってくれました。感謝しかありません。その後すぐに妹の 通っている小学校に行きました。その時,私は能登半島の輪島辺りの現在の様子をスマートフォンで妹と見ていました。その後は隣の家のお婆ちゃんと話して,時間が過ぎていました。もういやだな…。と思いかけていました。すると,クラスの友達が「大丈夫。いつもの風景,いつか…いや絶対に戻ってくるよ!!安心して!」と言ってくれて元気が出ました。今は何気ない生活をしているけど, あの日は忘れられないです…。おいらの一番大好きだった友達は 亡くなってしまったけど…その子のためにも絶対に生き延びると 心の中で誓いました。