どうして普通に学校に行けてるすごい人達が当たり前なの?
挨拶省略します。莉恋です。タイトル分かりにくくてごめんなさい。 私は現在不登校です。 私が学校へ行けた時周りは頑張ったねと言ってくれます。 ですがちゃんと学校に行けている弟とか妹は多少褒められるけれど私に比べたらあまり褒めていないように感じます。 別に不登校は偉くないとかではないし自分も少しでも学校に行けた時は自分を褒めます。 でも普段行けてる偉い人たちはどうして行けるのが当たり前みたいに思われてあまり褒められることがないのでしょうか? もしかしたら私の見てる一部だけがそうなのかもしれないけれど疑問が残ります。 皆の意見を教えてほしいです。
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みんなの答え
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無題
学校に行くことができない子に対する努力の認めかたと、毎日学校に通っている子に対する努力の認めかたが、同じである必要はないと思うのです。 幼いときにはトイレを一人でできたら褒められてた時期もあったのではないでしょうか。 歩けるようになったころには、あんよが上手にできたと褒められたことのある人もいると思います。 今でも、おしめ無しで自分でトイレができるのはすごいことだし、歩けるのもすごいことです。 でも今それを「おトイレ上手にできたね!はなまる!」とか「あんよが上手!」と褒められても、バカにされてる感じがしてしまいませんか。 できて当たり前でしょっていう冷たさも嫌だけれど、いつまでも赤ちゃん扱いもなんか違うと思うのです。 「よーしよしよし、学校来れて偉いねぇ。頑張ったねぇ」と毎日やられると流石にうざったいし、学校が嫌でぐずってる子と同じ対応ってどうなの…って思ってしまう。 努力の認めかたは褒める以外のやり方もあるんじゃないかなと思います。 私は結構「お疲れさま、日頃がんばってるから差し入れ」ってもらえるチョコレートとかが好きです。
そうだなぁ…
それはやっぱり 「日本人なら子どもは学校へ行くのが当たり前」だと考えてる人が圧倒的に多いからじゃないですかね。 そもそも不登校ってね、今だから許されてる感ありますけど僕らの親たちが子どもだった頃の話だと不登校なんて許されるものではなく、学校へ行かない子ども=悪で、無理をさせてでも子どもに学校に通わせなければならないって考え方が一般的だったらしいですから。 なので、多くの大人たちにとっては子どもが学校に通うのは言うまでもなく当たり前のことであり、当たり前のことだからこそ学校に毎日通えている子どもを褒めるという発想も無いのでしょうね。 そうそう。 テレビとかで、昔はとんでもない悪だった人が改心して数年後に真面目に人の役に立つ仕事をしているシーンを見て番組のゲストから「偉~い」とか「凄~い」とか褒められているの、観た事ありませんか? あれと似たようなものですよ。 昔は悪だったけど今は真面目に頑張っているから褒められる。 子どもの時から大人になってもずっと善人のまま真面目に頑張ってきた人達は褒められることが無いのにね。
不登校!
こんにちわ、ゆーのです(*^^)v 不登校なら不登校の範囲内で考えてください。 不登校は学校へ行けません。 だからもし学校に行けたらえらいと思います。 普通に学校へ行ってる子たちと比較するのはおかしいです。 だから不登校だけで考えて価値判断してください! それじゃあまたね(^_^)/~