【短編小説】まだ、あいのなか
『いい加減結婚相手探しなさい、20代だからっていつまでも遊んでられるわけじゃないんだからね』 電話越しでの母からの説教を聞き流して、僕はパソコンの前に座った。カタカタとキーボードを叩いて文字を打ち込む。 何回も何回もお付き合いに失敗した訳でもない、振られた訳でもない。それなのにどうして結婚しないといけないのか。 理由は穀然とあるし、母にも説明できるけれど、今はそんなことをしている暇は無い。 それは、僕が上京する5年前のことだ。 まだ高校も卒業していない年齢で、将来のことなんて何も考えていなかった。 ただ、幼馴染で、思い人のあいと一緒に居られればいいと思っていた。 喘息持ちで小さい頃から体の弱いあいは、いつもベッドの上で過ごしていた。 一緒にゲームをしたり、本を読んだり、勉強を教えてもらったりと、ずっと一緒に居た。 ただでさえ勉強や部活で一緒に過ごせる時間は少ないのだから、放課後になるといつもすぐあいの病室に向かっては、二人で他愛もない話をして過ごした。 そんなある日のことだった。 いつものようにあいの病室に遊びに行くと、彼女は窓の外を見て、物憂げな表情を浮かべていた。 その日は、風が強かった。風に揺れる木々の音や、病院の庭に植えられている花壇の花が揺れているのが見える。 「どうしたの?」 「……ううん、なんでもない。もうそろそろ私たちも卒業だなあ、なんて」 あいはそう言って笑っていたけれど、どこか寂しげな雰囲気が漂っていて。 「上京するの?それともここの大学に通うの?」 「都内の大学の推薦貰ったからな、多分ここを出ると思う。お前は退院したらどうするんだ?」 「……分からないや、多分どっちも出さないと思う」 その時はまだ、彼女が病気を患っていることも知らなかった。ただ、彼女も自分と同じ道を歩むのだと思い込んでいた。それが当たり前だと思って疑わなかった。 「卒業式、間に合うかなあ……?」 「多分大丈夫だろ。行かなくても学校側が中継とかなんとかしてくれるだろうし」 「そっか、ならよかった」 そう言って笑う彼女の顔は、少し悲しそうだった。 今思えば、この時に気づいておくべきだったのだ。彼女がどんな状況なのか。自分のことをどう思っているのか。 それから数日後、彼女は亡くなった。 突然のことで、頭が追いつかなかった。 泣き崩れるあいの両親を見ながら、自分も同じように泣いた。 けれど、心の片隅では冷静な自分がいて、これが現実なのだと突きつけてくる。 「……あいからよ。あなたにこれを渡して欲しいって」 あいの母親が差し出してきたのは、一通の手紙だった。 封を開けて中を読んでみると、そこには短くこう書かれていた。 『ちゃんと伝えられなくてごめんなさい。ずっと言いたかったけれど、悲しませたくなかったから。ずっと好きだったし、これからも大好きだよ。今までありがとう。さようなら』 読み終わった瞬間、涙が溢れてきた。 あいは最後まで僕のことを好きでいてくれた。そう思うと嬉しくて、でも悲しかった。 僕は彼女に想いを伝えることが出来なかったのだから。だから、せめてもの願いを込めて、手紙を抱きしめた。 「……ごめんな、遅くなって」 あいへの想いは少し薄まってきた、上京した当初は、大学で新しく恋人を作ろうと思っていたけれど、女性と接するたびに脳裏にかつてのあいが浮かんできて、結局作ることは出来なかった。 あいことを忘れられないのだと自覚してからは、ますます恋愛に関してのことを避けるようになっていた。 僕は未だに独り身のまま、東京で一人暮らしをしている。両親からは早く孫の顔が見たい、早く籍を入れてくれと急かされている。 「結婚、ねえ……」 そんなこと言われても、相手がいなければ結婚はできない。それに、今の僕には結婚なんて考えられない。 「今恋愛中だけれど、結婚は無理かな。うん、諦めよう」 『……あら、貴方お付き合いしているの!?だったら早く言いなさいよ、 お父さんにもお母さんにも!』 「いや、付き合ってないよ。僕が一方的に好きなだけ。母さんと父さんには悪いけれど、僕は一生独り身でいるつもり」 『そうなのね、でもいつかは結婚しなさいよ。あんたが結婚したら私達も安心できるからね。あと孫の顔も見たいし』 「はいはい、そのうちね」 適当に返事をして電話を切る。 この恋は、きっと生きている間ずっと続くだろう。 あいのことを、ずっと忘れないようにするために。 まだ僕は、まだ愛の中から抜け出せないでいる。