短編小説みんなの答え:0

最高の教師

時はコロナ禍、学校は1年前とガラッと変わり、学校に行きずらくなっていた。 コロナ禍になって学校に来なくなった子達が増えたり、学校に入って2年たっただけで仲の良い友達も少ない。 友達はいるけれど、凄く好きという訳ではない。 担任の先生、川原真知子先生も初めてあった先生で上手くやれるか心配だった。 自分の中ではすごく怖くて、当時居残りもさせられて最初は嫌だった。 そんな日々の中、私はある病気が見つかった。 『鼠径(そけい)ヘルニア』 本来ならお腹の中にある臓器が外に出て足の根元の辺りにしこりができる病気 病気によって私は手術をしなければならなかった。 ちょうどその頃は秋、コロナ禍によって運動会の時期がズレ、そろそろ運動会の練習が始まる頃だった。 私はほとんど記憶はないが手術前に 運動会の練習をした記憶がほとんどなく、徒競走をしたぐらいだった。 その後はすぐ入院に入り、学校を休んだ。けれど、その時まで、川原先生はしっかりと私の面倒を見てくれていた。 その後、手術が終わり手術後、遅刻をして、初めて学校に来た時には、ダンスの練習をしていた。スカーフのような物を手に着けて、踊っていた。 曲は、全力少年と紅蓮華だった。 踊っている最中で、みんな気づかなかったが、川原先生はすぐに気づいた。 その時、川原先生は私の名前を読んで こっちに来てくれた。 『アイちゃん!!よく手術頑張ったね 先生すごく心配してたよ!!』 と言い、ギュっと包み込んでくれた。 すごく嬉しかった。とても温かかった。 その後、川原先生は指示をするため、すぐ行ってしまったが、その日から先生の 印象が変わった。厳しかった先生だけれど、どこか愛情のある先生だった。 月日が経ち、三年生の終わりの頃、 他の小学校に行く先生や、教師を辞める先生の発表の手紙が届いた。 その中に、書いてあった。 川原 真知子と 最後の日、1番とっても泣いた。 1番大好きな先生だった。 とても悲しかった そんな私に、頭を撫でて、こういった。 『泣かないの!元気を出して!』 これが最後の言葉だった。 それから2年後、5年生になった。 担任の先生は田口先生だった。 先生は、私が2年生の時に、来た教育実習生の人だった。初めて会った時は、ほとんど覚えていないが、弱弱しい先生が第一印象だった、田口先生は 高学年を担当するのが、初めてだったのですごく不安だった。 けれど、すごくベテランのような動きで 感激した。川原先生に似て怖いところはあるけれど、 ちゃんと見習っていてとても凄かった。 川原先生の事は4年たった 今でも覚えている。 またどこかで会えるといいな。

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