いつも通りを続けるため
「なあ、佳奈。一つ、いいか?」 乾燥した冷たい風に震えながら雑談していると、彼から改まって切り出された。 放課後の校庭の隅、いつもの場所。しかし今日は、私と彼の2人だけだ。あと1人はいない。 彼が、今日は先に帰るよう彼女に伝えたのは、昼休みのことだ。 あの時の彼女の瞳、彼の瞳。それを見た時から今日はずっと、ぼんやりと霧の中を生きているような心地だった。 ずっと、起こってほしくないことが起こるような気がした。 「……何?」 いつも通り微笑む。いつも通り言葉を返す。 私は、心なしか震えているように見える彼の唇を、じっと見つめた。 どうかそれが、あの形に動かないで欲しい。 いつも通り。いつも通り、なんてことないことを言って欲しい。例えば、「今日授業中居眠りしたから、ノート見てくれ」とか。「レポートのテーマ、何にしたんだ?」とか。 沈黙が苦しい。心臓が騒ぐ。どうか、どうか――。 そんな私の祈りも虚しく、彼の唇は、私が最も見たくなかった形に動いてしまった。 頬が熱を持つ。周りの音が遠くなる。世界の彩度が上がり、明度が下がる。 落ち着け。そう自分に言い聞かせる。暴れる心臓を鎮めようとしながら、私は必死に頭を回転させた。 なんて、なんて返事をしよう。なんて返せば良いのだろう。なんと言えば、いつも通りでいられるだろう。 しかし、ひどく動揺していた私が冷静に考えを巡らすことができるはずもなかった。 とんでもない悪夢のよう。だけど、想定内の悪夢だった。この時のために用意してずっと心に留めてあった言葉。 邪魔をしてくるようなどくどく波打つ心臓を振り切って、私はそれに飛びついた。 口にする。 「ごめんなさい」