蝶は羽ばたいたか
ズグンズグンズグン。
この音は、何だ。
それは、回送列車が猛スピードで目の前を通り過ぎる音だった。
腕時計の針は九時を指していた。取引先との会議が、予定より一時間以上も長引いてしまっていたのだ。会社には、明日までに終わらさなければならない仕事が山積みになって待っているというのに。
終電までに間に合わなければ、今夜も会社に泊まるしかない。もう、三日連続だ。考えながら、僕はもう一度腕時計を眺めた。
ズグンズグンズグン。
またこの音だ。
そういえば今日は朝にコーヒーを飲んだだけで、食べ物を口にしていない。
睡眠不足に、空腹、疲労。意識はもうろうとしているはずなのに、頭では夢中で仕事の段取りをしている。
その時、アナウンスが流れた。僕が乗らなくてはならない電車が遅れているという知らせだった。
体の奥からふ深いため息が漏れる。僕の周りにいる人達も、口々に「勘弁してくれ」とつぶやいている。
(本当に、勘弁してくれ)
とりあえず売店で何か食べるものを買おうと、コートのポケットを探る。すると財布の隣で携帯が震えていた。
着信。相手は上司だった。その名前を見ただけで、胃が強く痛んだ。
「はい」
『平山、会議終わったか?』
「はい。今から戻ります。でも電車が遅れていて…」
『はぁ?…実は、明後日の企画が変更になってな。大至急で、webページと広告誌面の変更をしなければならなくなった』
「…更…ですか」
『とにかく早く会社に戻れ!いいか!』
電話が切れる、ばつん、という音がやけに大きく響いた。
続けてまたあれだ。
ズグンズグンズグン。
もう、この音がどこでなっているのかすらわからない。
携帯電話の画面に表示されているデジタル時計の数字が、一秒、一秒、時間を重ねていくのをぼんやり眺め、僕は目を細めた。
(まるで時間に首を絞められているようだ)
そう思った瞬間、画面が変化した。新規メール受信、という文字が表示される。普段なら、そのまま放置してしまうのだが、なぜかその時だけ、僕は無意識にそのメールを開いていた。
未読のメールが連なる受信ボックスの一番先頭に、おかしな件名のメールが届いている。
件名:『ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきは、テキサスで竜巻を起こすか?』
読まずに削除しようとしたが、僕にはその文章に見覚えがあった。
(『ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきは、テキサスで竜巻を起こすか?』)
昔、学生のころに見た映画で、そんなセリフを聞いた気がする。タイトルは忘れてしまった。
本文:『拝啓、三年前の僕。
君は、毎日忙しい日々を過ごしていることだろう。
こんなメールきっといたずらだと、すぐに消してしまうんだろうな』
冒頭の文章に、僕は眉をひそめた。明らかに新手の迷惑メールだ。
『率直に言おう。
僕は、君だ。
僕と君はイコールで、つまり、
君は、僕。
僕は、三年前の、平山晃一だ』
僕の本名まで調べてあるなんて、悪質すぎる。不正請求か、詐欺か。僕はそのメールを削除しようとした。
『君はオカルト的なことは信じないたちだ。そんなこと、僕がよく知っている。しかし、最後まで読んでおくれ。』
次の一文に、僕は息をのんだ。
『今乗ろうとしているホームとは反対のホームに、もうすぐ電車が到着するだろう。それに乗ってほしい。』
無意識に僕は電光掲示板に視線を向けていた。反対のホームにはあと数分で電車が到着すると表示されている。奇妙なシンクロ。僕は携帯の画面に、視線を戻した。
『もし、そうしなければ、きみには不幸が起こるだろう』
は、と漏れたのは失笑だった。不幸の手紙、という言葉が頭にぽかん、と浮かぶ。
そんなもの、僕が子供のころにはもう絶滅していた。
『それを伝えるために、僕は君にメールをしている。
しかし、運命は神様に与えられたもので、逆らうことはできない。とても難しいことだ。
その不幸が何なのかは、今の僕には言えない。しかし、想像してほしい。きみにとっての最悪とは?』
僕にとっての最悪は、仕事が終わらないことだ。毎日、毎日、こなしてもこなしても終わらないその作業だ。
(何なんだ、このメールは)
僕の足は迷わず、反対ホームへと向かっていたのだ。
鍵を開けて扉を開き、玄関で靴を脱いでいると、リビングの扉が開いた。
中から出てきたのは、ユリエだった。
「うそ。おかえり」
驚きの表情。
「メール返してくれればよかったのに!まさかこんなに早く帰ってくるなんて。あ、でもね晩御飯の用意はすぐにできるから」
『きみをとりまくちいさな幸せを感じてほしい』
全てが腑に落ちた瞬間、僕の瞼が一気に熱を持った。ゆるく絞られるように涙が溢れた。
「…ずっと」
「うん」
「ずっと僕と…
「うん」
「ずっと僕と、いてくだたい」
「アハハ」
この期に及んで、プロポーズの言葉をかむなんて間抜けすぎる。 まつぼっくりさん(京都・12さい)からの相談
とうこう日:2020年12月1日みんなの答え:2件
この音は、何だ。
それは、回送列車が猛スピードで目の前を通り過ぎる音だった。
腕時計の針は九時を指していた。取引先との会議が、予定より一時間以上も長引いてしまっていたのだ。会社には、明日までに終わらさなければならない仕事が山積みになって待っているというのに。
終電までに間に合わなければ、今夜も会社に泊まるしかない。もう、三日連続だ。考えながら、僕はもう一度腕時計を眺めた。
ズグンズグンズグン。
またこの音だ。
そういえば今日は朝にコーヒーを飲んだだけで、食べ物を口にしていない。
睡眠不足に、空腹、疲労。意識はもうろうとしているはずなのに、頭では夢中で仕事の段取りをしている。
その時、アナウンスが流れた。僕が乗らなくてはならない電車が遅れているという知らせだった。
体の奥からふ深いため息が漏れる。僕の周りにいる人達も、口々に「勘弁してくれ」とつぶやいている。
(本当に、勘弁してくれ)
とりあえず売店で何か食べるものを買おうと、コートのポケットを探る。すると財布の隣で携帯が震えていた。
着信。相手は上司だった。その名前を見ただけで、胃が強く痛んだ。
「はい」
『平山、会議終わったか?』
「はい。今から戻ります。でも電車が遅れていて…」
『はぁ?…実は、明後日の企画が変更になってな。大至急で、webページと広告誌面の変更をしなければならなくなった』
「…更…ですか」
『とにかく早く会社に戻れ!いいか!』
電話が切れる、ばつん、という音がやけに大きく響いた。
続けてまたあれだ。
ズグンズグンズグン。
もう、この音がどこでなっているのかすらわからない。
携帯電話の画面に表示されているデジタル時計の数字が、一秒、一秒、時間を重ねていくのをぼんやり眺め、僕は目を細めた。
(まるで時間に首を絞められているようだ)
そう思った瞬間、画面が変化した。新規メール受信、という文字が表示される。普段なら、そのまま放置してしまうのだが、なぜかその時だけ、僕は無意識にそのメールを開いていた。
未読のメールが連なる受信ボックスの一番先頭に、おかしな件名のメールが届いている。
件名:『ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきは、テキサスで竜巻を起こすか?』
読まずに削除しようとしたが、僕にはその文章に見覚えがあった。
(『ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきは、テキサスで竜巻を起こすか?』)
昔、学生のころに見た映画で、そんなセリフを聞いた気がする。タイトルは忘れてしまった。
本文:『拝啓、三年前の僕。
君は、毎日忙しい日々を過ごしていることだろう。
こんなメールきっといたずらだと、すぐに消してしまうんだろうな』
冒頭の文章に、僕は眉をひそめた。明らかに新手の迷惑メールだ。
『率直に言おう。
僕は、君だ。
僕と君はイコールで、つまり、
君は、僕。
僕は、三年前の、平山晃一だ』
僕の本名まで調べてあるなんて、悪質すぎる。不正請求か、詐欺か。僕はそのメールを削除しようとした。
『君はオカルト的なことは信じないたちだ。そんなこと、僕がよく知っている。しかし、最後まで読んでおくれ。』
次の一文に、僕は息をのんだ。
『今乗ろうとしているホームとは反対のホームに、もうすぐ電車が到着するだろう。それに乗ってほしい。』
無意識に僕は電光掲示板に視線を向けていた。反対のホームにはあと数分で電車が到着すると表示されている。奇妙なシンクロ。僕は携帯の画面に、視線を戻した。
『もし、そうしなければ、きみには不幸が起こるだろう』
は、と漏れたのは失笑だった。不幸の手紙、という言葉が頭にぽかん、と浮かぶ。
そんなもの、僕が子供のころにはもう絶滅していた。
『それを伝えるために、僕は君にメールをしている。
しかし、運命は神様に与えられたもので、逆らうことはできない。とても難しいことだ。
その不幸が何なのかは、今の僕には言えない。しかし、想像してほしい。きみにとっての最悪とは?』
僕にとっての最悪は、仕事が終わらないことだ。毎日、毎日、こなしてもこなしても終わらないその作業だ。
(何なんだ、このメールは)
僕の足は迷わず、反対ホームへと向かっていたのだ。
鍵を開けて扉を開き、玄関で靴を脱いでいると、リビングの扉が開いた。
中から出てきたのは、ユリエだった。
「うそ。おかえり」
驚きの表情。
「メール返してくれればよかったのに!まさかこんなに早く帰ってくるなんて。あ、でもね晩御飯の用意はすぐにできるから」
『きみをとりまくちいさな幸せを感じてほしい』
全てが腑に落ちた瞬間、僕の瞼が一気に熱を持った。ゆるく絞られるように涙が溢れた。
「…ずっと」
「うん」
「ずっと僕と…
「うん」
「ずっと僕と、いてくだたい」
「アハハ」
この期に及んで、プロポーズの言葉をかむなんて間抜けすぎる。 まつぼっくりさん(京都・12さい)からの相談
とうこう日:2020年12月1日みんなの答え:2件
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失礼します その小説好きです
でも失礼ですが
そのお話前に読んだことがある気がして、私の記憶違いかもしれませんが。。
このサイト見たの最近なんです。。。
蝶々さん(東京・12さい)からの答え
とうこう日:2021年8月26日 -
発想がいい! こんにちは!arsといいます。
未来からのメールってオカルトめいてますよね。まつぼっくりさんが意図してかは分からないですが、文章自体も不思議な感じで世界館がありますね!
反対ホームへ乗らなかった場合、どうなったかが気になります。
頑張って下さい!
arsさん(愛知・13さい)からの答え
とうこう日:2020年12月3日
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