【90min.】花の都
端的に言うと、少年は迷っていた。ここが何処なのか、何処から来たのか、向かう先は何処なのか、全て分からなかった。只々、歩いていた。いや、泳いでいたかもしれないし、飛んでいたかもしれない。そしてそれがいつからであるのかも分からず。希望も絶望も、そもそもの期待も、何もかもを何処かへ置いてきたようだった。だから、信じていた所に、でもなく諦めていた所に、でもなかった。森がゆっくりと開けるように、闇とも言える何処かからまるで自然に、光が差した。
少年の視界に飛び込んできたものは、里のような風景だった。まるで昔話に出てくるような古民家と田畑が、転々と並んでいる。風は草木を撫で、透明な水は静かに流れ、そして若い緑に花々が広がっている、長閑な場所だった。
五感で手に入れた情報を手に探索しようとした時、少年は後ろから声をかけられた。人の気配は感じられなかったが故に、少年は振り返ると同時に短く声を上げ飛び退いた。目の前にいたのは、人であった。顔を布で覆っている、それ以外は普通の人間であるように見える。
「あ、すみません……その、ここって、どこですか……?」
少年はおどおどしながら布の者に訊いた。すると布の者は言う。都です、と。少年は驚き、みやこ、と言葉を反復した。
「花の都です」
なるほど、と理解しきれぬまま少年は納得した。これ程花が豊かであれば、そう呼ばれるのも無理はないかもしれない、と。
「ああ。申し遅れました、私は都の語り部です」
思い出したように布の者、語り部は身を明かした。
「ああっ、僕は……えーっと……」
少年は言葉を詰まらせた。己の名を思い出せなかったのだ。慌てていると、語り部は名乗る必要などないと言った。
「さて、折角ですしご案内致しましょう」
語り部に連れられ、少年は都を回った。見てみると、農耕だけでなく牧畜も行っているようで、動物も放牧されていた。
そして奥まで進んだ時、少年は目を疑った。それまでの質素な家々とは全く違う、立派な建物が鎮座しているのが見えた。柱の細部にまで装飾が施されていて、瓦はヘマタイトのような鈍い輝きを放っている。全体はかの南西の城のように朱く纏められている。そしてそれは目前の池にも、その姿が寸分違わずに映されている。見蕩れている少年に、語り部は言った。
「この奥には帝がいらっしゃいます」
帝という言い方に、少年は小さな疑問を持った。少年にとってこのような呼び方は、古文でしか見た事がなかった。
「帝はお休みになられています」
そうですか、という無難な言葉しか、少年からは出てこなかった。
「どうされましたか?」
「あ、いえ。何でもないです」
少年は考えた。この都は、所謂俗世から隔絶した場所なのではないのだろうかと。それは桃花源記に出てくるような。引っかかりを覚えながらも、そう結論付けた。
「少し、お話をしましょうか。それが私の仕事でありますし」
曰く、遥か昔に民が戦乱から逃れてここへやってきて住み着いたらしい。まるで本を読み聞かせるかのように、そして少し懐かしむように語った。その話は少年の心に針を刺した。何も覚えがないが、重要なことであると直感した。
「大変でしたね」
何かが、陽炎のようにゆらめいている。自然にその言葉が出てきた。
「ええ、でもここでの暮らしは良いものです」
「……ここは?」
「ここは、花の都です」
「違います、よね」
少年は恐る恐る訊いた。知ってはならぬ。知らねばならぬ。本能が騒ぎ出す。ここは花の都などではないと何かが言っている。何が言っているのか、それは分からぬまま従った。語り部は黙った。そして空気が変わったのを少年は感じ取った。
「……半分です」
語り部は、一言そう放った。風はざわめいて、川は水を増やした。どこからか、波の音が聞こえた。その音は少年に強い恐怖心を与えた。語り部は続ける。
「ここは、金青の下の都でございます。言われた通りでした。存在する、と」
ざぷん、と大きな波が這う。足をとられて動いた視線の先、水縹の空がゆらゆらと揺れ始めた。
「……僕は」
「あなたは、きっと帰れるでしょう。上へ行けば、きっと。さあ、早く」
時間はなさそうだった。覚悟を決めて、少年は地面を蹴った。空だった水を掻き分けて昇ってゆく。光が段々と近くなってくる。あと少しだ、そう思った瞬間、光が少年を包み込んだ。
「……そうして、彼らは滅びました。きっと、本当に波の下に都はあったのでしょう。あ、僕は海は少し苦手です。溺れた事があるので」
滅ぶことのない記憶を胸に、少年だった彼は教壇の上で言った。 杏目さん(茨城・16さい)からの相談
とうこう日:2023年11月21日みんなの答え:2件
少年の視界に飛び込んできたものは、里のような風景だった。まるで昔話に出てくるような古民家と田畑が、転々と並んでいる。風は草木を撫で、透明な水は静かに流れ、そして若い緑に花々が広がっている、長閑な場所だった。
五感で手に入れた情報を手に探索しようとした時、少年は後ろから声をかけられた。人の気配は感じられなかったが故に、少年は振り返ると同時に短く声を上げ飛び退いた。目の前にいたのは、人であった。顔を布で覆っている、それ以外は普通の人間であるように見える。
「あ、すみません……その、ここって、どこですか……?」
少年はおどおどしながら布の者に訊いた。すると布の者は言う。都です、と。少年は驚き、みやこ、と言葉を反復した。
「花の都です」
なるほど、と理解しきれぬまま少年は納得した。これ程花が豊かであれば、そう呼ばれるのも無理はないかもしれない、と。
「ああ。申し遅れました、私は都の語り部です」
思い出したように布の者、語り部は身を明かした。
「ああっ、僕は……えーっと……」
少年は言葉を詰まらせた。己の名を思い出せなかったのだ。慌てていると、語り部は名乗る必要などないと言った。
「さて、折角ですしご案内致しましょう」
語り部に連れられ、少年は都を回った。見てみると、農耕だけでなく牧畜も行っているようで、動物も放牧されていた。
そして奥まで進んだ時、少年は目を疑った。それまでの質素な家々とは全く違う、立派な建物が鎮座しているのが見えた。柱の細部にまで装飾が施されていて、瓦はヘマタイトのような鈍い輝きを放っている。全体はかの南西の城のように朱く纏められている。そしてそれは目前の池にも、その姿が寸分違わずに映されている。見蕩れている少年に、語り部は言った。
「この奥には帝がいらっしゃいます」
帝という言い方に、少年は小さな疑問を持った。少年にとってこのような呼び方は、古文でしか見た事がなかった。
「帝はお休みになられています」
そうですか、という無難な言葉しか、少年からは出てこなかった。
「どうされましたか?」
「あ、いえ。何でもないです」
少年は考えた。この都は、所謂俗世から隔絶した場所なのではないのだろうかと。それは桃花源記に出てくるような。引っかかりを覚えながらも、そう結論付けた。
「少し、お話をしましょうか。それが私の仕事でありますし」
曰く、遥か昔に民が戦乱から逃れてここへやってきて住み着いたらしい。まるで本を読み聞かせるかのように、そして少し懐かしむように語った。その話は少年の心に針を刺した。何も覚えがないが、重要なことであると直感した。
「大変でしたね」
何かが、陽炎のようにゆらめいている。自然にその言葉が出てきた。
「ええ、でもここでの暮らしは良いものです」
「……ここは?」
「ここは、花の都です」
「違います、よね」
少年は恐る恐る訊いた。知ってはならぬ。知らねばならぬ。本能が騒ぎ出す。ここは花の都などではないと何かが言っている。何が言っているのか、それは分からぬまま従った。語り部は黙った。そして空気が変わったのを少年は感じ取った。
「……半分です」
語り部は、一言そう放った。風はざわめいて、川は水を増やした。どこからか、波の音が聞こえた。その音は少年に強い恐怖心を与えた。語り部は続ける。
「ここは、金青の下の都でございます。言われた通りでした。存在する、と」
ざぷん、と大きな波が這う。足をとられて動いた視線の先、水縹の空がゆらゆらと揺れ始めた。
「……僕は」
「あなたは、きっと帰れるでしょう。上へ行けば、きっと。さあ、早く」
時間はなさそうだった。覚悟を決めて、少年は地面を蹴った。空だった水を掻き分けて昇ってゆく。光が段々と近くなってくる。あと少しだ、そう思った瞬間、光が少年を包み込んだ。
「……そうして、彼らは滅びました。きっと、本当に波の下に都はあったのでしょう。あ、僕は海は少し苦手です。溺れた事があるので」
滅ぶことのない記憶を胸に、少年だった彼は教壇の上で言った。 杏目さん(茨城・16さい)からの相談
とうこう日:2023年11月21日みんなの答え:2件
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素晴らしい! とても読み応えのある小説でした。
このカテゴリで投稿されてる小説で私が見た中で一二を争うくらい面白かったです。
読ませていただきありがとうございました。 karinさん(選択なし・14さい)からの答え
とうこう日:2024年1月30日 -
素敵! こんにちは!パン粉です。
僕から見ると、和風ファンタジーの物語のように思えました。
和風ファンタジー、いいですね!
語り部さんが顔を布で覆っているというのも、
ミステリアスな雰囲気でおしゃれだと思います!
良い物語をありがとうございました!
次もがんばってください! キッチンに散ったパン粉さん(選択なし・16さい)からの答え
とうこう日:2024年1月30日
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